心なき身にもあはれは知られけり



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イソシギ君です。
近所の武庫川にて。

自然観察をする楽しみの一つは、
過去の人と繋がった気分になれることである。

西行の有名な歌の鴫は、
イソシギだと考えられているそうだ。


心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

検索すると、こんな解釈が出てきました。
http://manapedia.jp/text/1759
無断転載で申し訳ない!
他の解釈もあるようですけど、これを参考にします。

出家して人の感情を捨てたにもかかわらず、
鴫が飛び立つ沢をみていたら、
なんとも言えない感動が心にわいてきた


まず、場所ですが、淡水の川。
イソシギがいるのだから、
石がゴロゴロしているような沢。

これは想像ですが、
きっと氾濫原で、家を建てるような場所ではなく、
周囲にも人家はないのではないか?

秋の夕暮れ、もうすぐ夜という時間帯、
西行さんは何をしているのだろう?

宿泊地へ急いでいるのか、
それとも野宿の場を探しているのか。


さて、イソシギについて。

大きな鳥をイメージしている人がいるかもしれないけど、
イソシギは小さい。
スズメよりは大きいが、ムクドリよりも小さい。

基本、私が武庫川で見かけるイソシギは、
単独でチョロチョロとしているが、
Wikipediaには
「渡りの際には小規模な群れを形成する」とあるので、
この歌の情景が一匹なのか群れなのか、分からない。

でも、大群でないのは、確か。

また少なくとも私は高く飛ぶ姿は見たことない。
水面から1m程度を飛ぶことが多いように思う。

もちろん、見逃しているだけなのだろうが、
秋の夕暮れに長距離移動を始めるとは思えないし、
「鴫立つ」と言っても低空飛行だろう。

 小さい鳥
 単独もしくは小さな群れ
 たぶん低空飛行

この三つを考え合わせると、
西行は鴫が飛び立つのを遠くから見たのではなく、
近くで見たという結論が出る。

では、夕暮れ時、何故イソシギは飛び立ったのか?

西行に驚いたんでしょうねえ。

普通に考えれば、そうだ。

西行が歩いて近付いたから、
もしかしたら舟で近づいたから、
鴫は逃げたのである。

西行の人柄を私は知らない。

でももし、私だったら、
「ゴメン! お休みのところを驚かせて!!」
となる状況です。

となると、西行の感じた「あはれ」は何だったのだろう?

秋の夕暮れ、一夜を過ごす場所へ急ぐ西行は、
すでに安息の場を決めていた鴫の邪魔をしてしまった。

「うらやましい」だったのだろうか?

自分にも安息を求める心がふと湧いてしまって、
微苦笑したのかなあって、
私は思ってしまったんだが、どうなのだろう?


以上、私の勝手な感想でした。

西行の心の中を知るためには、
もっとイソシギについても知らなきゃなと、
思う武庫川での私であります。

護岸工事され、ゴミの多い川を見て、
平安から鎌倉の本当の川の情景を想像するのは難しいけど、
とても楽しい作業でもあるんですよ。