私の見たポルノ映画⑥

魅力ある物を作れば、たくさん客が来る。
魅力の無い物だったら、客にソッポを向かれる。

この単純な公式が成立してこそ、
その分野の健全な発展が望めるのだと思う。
(価格の要素は、ここでは無視)

私が住む阪神地域や神戸には、
実にたくさんのパン屋さん、ケーキ屋さんがある。
彼らは、その可愛らしい外観とは裏腹に、
壮絶なガチンコ競争を同業者と繰り広げている。
その競争によって、地域の業界の質が保たれているのだ。



今回書いてきた90年代のポルノ映画界は、
上の公式がまったく機能しておらず、
私には末期的状況としか思えなかった。

普通の映画のように、
評がマスコミなどに多く出ている訳ではない。
客が知っているのは、タイトルとポスターくらい。
よい作品だったからと、二度見る人もない。
少なくとも90年代には、評判の口コミも無かった。

客は、ちょっとしたエロ気分に浸りたいだけ。
タイトルとポスターに騙されただけ。
あの空間が好きなだけ(同性愛者の出会いの場にもなった)。
暇つぶし、昼寝をしたかっただけ。

内容は、ほぼ無関係なのである。

実際、怪獣的女優さんに怒ったり、
痛快な痴漢電車映画に感激したりしていたのは、
場内で私一人だけだったような気がした。

作り手として、これほど張り合いのない状況はないはず。

しかも予算不足で、思い通りの女優は使えないとか、
制約はたくさんあるのである。

良い物を作っても評価してもらえず、
下らない物でも非難してくれないとは、
なんと悲しい世界なのだろう。

投げやりな前衛映画を撮りたくなる気分も、
理解できるではないか。

小規模ビジネスならともかく、
たくさんの人と金が必要な分野だから、
不景気だったこともあり、
これでは滅びるしかないと、私は思いました。
21世紀には見る事はできなくなるだろう、と。



と、ところが、園橋の予想とは当てにならないもので、
不思議で仕方ないのですが、まだ滅びてない。

単なる惰性だろうとは思うのだが、
もしかしたら、私の気付かなかった発展の芽があって、
盛り返しているのかも知れない。

現状を確かめたいとの好奇心が、無くもないのですが、
改めて失望を重ねるのはゴメンだし、
楽しかった痴漢映画が堕落していたら嫌ですから、
当面は、外野から見守る事にしています。

あと十年以上経って、
それでもまだ続いているのなら、見に行くことにします。
さすがにその頃には、滅びていると思うんですけどねえ。


                     おしまい