"Study to be quiet"

記憶を頼りに書くのですが、
開高健ウォルトン卿の墓にお参りに行ったところ、
墓石に"Study to be quiet"と書かれていたのだとか(原典は聖書)。
(彼の著書「釣魚大全」の最後の文句でもある)

ウォルトン卿」と言っても、分からない人が多いと思うので、
百科事典の説明を以下に。


  ウォルトン (Izaak Walton) 1593~1683

  イギリスの随筆家、伝記作家。
  名著の誉れ高い「釣魚大全」を執筆した。(後略)

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私は釣りをやったことはないのだけど、
"study to be quiet"にはうならされ、感心させられ続けている。

「穏やかになることを学べ」と訳すのが普通でしょうけど、
個人的には冠詞を付けて
「静かになるための研究"a study to be quiet"」と、したい気がします。

私は何でも競馬に結び付けて考える人間だが、
結局のところ、競馬だって"a study to be quiet"なのかも。

もちろん、金欲から馬券を買い、大声を出して応援をするのだが、
増えるはずがない事は分かりすぎるほど分かっている。

では何故続けているのかと考えると、
コテンパンに負けた時に怒りの底から湧き上がってくる
静かなる諦観を味わうためではなかろうか?
そんな気がしてならない。

原典の聖書からは逸脱し過ぎた解釈でしょうけどね。

競馬は今まさにクラシックシーズン。
私は今年も、「静かになるための研究」にいそんでいるのである。



※昨日、「沈黙」川柳を羅列しました。
あれらを作ったのは、本記事内容がきっかけでした。
都合で記事を出すのが前後してしまい、申し訳ないです。