成積の話

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あれは私が小学何年生のことだったろう?

一学期の通知表を見た母が、妙な表情をした。
叱られるのかなとビクッとしたが、
「成績」とあるべきところが「成積」になっていると、
ブツブツ文句を言っていた。
「イトヘン」であるべきところが、「ノギヘン」だった訳です。

単純な誤植だが、子供心にもなんだか可笑しかった。

私たちは、「成積」欄に、<国語:がんばろう>
などと書かれていたのである。

この通知表は、「お前こそ、がんばれ」とのツッコミと共に、
訂正されること無く一年間使われた。
諸方からの指摘があったのに訂正しなかったことで、
子供が漢字を間違えたら×を付けられるのに、
と不満を覚えたのも事実である。



小学校に入った頃は、盲目的に先生とは偉いものだと思っていた。
それが段々学年が進むにつれ、
教師の欠点や人間臭さに気付くようになり、
中学から高校に入る頃になると、
反発したり、否定、批判、軽蔑したりするようになる。
わざと大人が嫌がるような言動をしたりもする。
高校生の頃は、「こんな人間にはなりたくない」との思いで、
多くの教師たちを見ていた。

成人して、自分自身の欠点や人間臭さを実感するようになってからは、
当時の自分の目は理不尽だったと思うけど、
精神的成長の過程としては健全かつ必要であったとも思っている。

あの「成積」の通知表は、
その精神的成長を促す第一歩だったのかも知れない。

先生や周囲の大人に疑問を持ち始めるきっかけが、
重大な裏切りではなく、
軽いユーモラスなミスであるとは、
考えてみれば何と幸せなことか。



問題になっている大分の教育界について、
私は野次馬以上の知見は持ち合わせていないのだが、
あれが子供たちの心の中で健全に消化されることを願ってます。
時間はかかるだろうけど。

大人は、子供は限りなく従順であれと願うものだが、
「大人なんて、どうせ・・・」との感覚は絶対に必要なのだ。

でもやっぱり「成積」とは、レベルが違いすぎるかな?