これが平和というものだ(「草競馬流浪記」を読む30)
最後に、一番最初に載っている文章を。
山口瞳が残した大量の文の中で、一番好きです。
これがあるから、彼の本を何度も読み返そうと思うのです。
昭和二十一年だったと思うが(二十年の秋かもしれない)、
戸塚競馬場が再開されたとき、
僕は、まっさきに、喜びいさんで出かけていった。
そうして、このときほど、
平和というものを強く感じたことはなかった。
青空の下で、大勢の人が集まって、
天下晴れて公認のばくちを打つ。
こんなにいいものはないと思った。
防空壕のなかで、懐中電灯でもって花札を引くのとはわけが違う。
これが平和というものだと思った。
競馬を出来るのは、自由で平和ということ。
戦時でなく、圧政下でもなく、
治安も一定のレベルが保たれているということ。
競馬が出来ないような社会は、ゴメンだ。
私だって、競馬なんて無用で、無駄な遊びだと思っている。
でも、そんな無駄が許されない国には、住みたくない。
文化とは、無駄が寛容される度合いで測れるはずだ。
死ぬまで競馬は続けるつもり。
それが叶えられない社会になりませんように。
これで「草競馬流浪記」を読むシリーズ終了。長かった。
※写真は園田競馬のゴール直後
山口瞳が残した大量の文の中で、一番好きです。
これがあるから、彼の本を何度も読み返そうと思うのです。
昭和二十一年だったと思うが(二十年の秋かもしれない)、
戸塚競馬場が再開されたとき、
僕は、まっさきに、喜びいさんで出かけていった。
そうして、このときほど、
平和というものを強く感じたことはなかった。
青空の下で、大勢の人が集まって、
天下晴れて公認のばくちを打つ。
こんなにいいものはないと思った。
防空壕のなかで、懐中電灯でもって花札を引くのとはわけが違う。
これが平和というものだと思った。
競馬を出来るのは、自由で平和ということ。
戦時でなく、圧政下でもなく、
治安も一定のレベルが保たれているということ。
競馬が出来ないような社会は、ゴメンだ。
私だって、競馬なんて無用で、無駄な遊びだと思っている。
でも、そんな無駄が許されない国には、住みたくない。
文化とは、無駄が寛容される度合いで測れるはずだ。
死ぬまで競馬は続けるつもり。
それが叶えられない社会になりませんように。
これで「草競馬流浪記」を読むシリーズ終了。長かった。
※写真は園田競馬のゴール直後