私の見たポルノ映画③

次に見た作品は、まさに前衛ポルノでした。

とにかく、よく分からなかったけど、
雪深い田舎バスの中で乱交になるのです。
ストーリーも意味もよく分からず、ひたすらシュール。

映像も疑問符だらけで、
筋とは無関係の美しい自然風景が出てきたり、
とにかく前衛的実験としか言いようが無かった。

前の巨乳映画は苦痛でしたが、
こちらはただただ呆然とし、退屈。
女優さんは、普通にキレイだったんですけどねえ。

そして、最初から最後まで、
強烈に伝わってきたのは作り手の「鬱屈」でした。
少なくとも私にはそう感じられました。



ポルノ映画とアダルトビデオの違いは数々あるけど、
作り手に注目すると、監督の夢や立場の違いが際だちます。

映画ファンの方なら詳しいでしょうが、
日本の大監督と呼ばれる人の中には、
ポルノ映画から出発された方がありますよね。

そう、ポルノ映画は、巨匠への道の一つでもあり、
上昇のステップと取り組む監督が多かったらしい。

今はポルノの依頼しか来ないけど、
なんとか実力をつちかい、会社に認められるようになって、
本当に撮りたい映画を思う存分撮ってやる!
世界のクロサワも超えてやるんだ!!
そういう自負心を抱えた監督がいたのでしょう。

これは、それぞれの個性なのでしょうが、
そういう思いを上手に抑えられる人もあれば、
抑えきれずに、「認めてくれオーラ」丸出しで、
客の事など眼中に無いという作品になってしまう人もいる。
何作も意にかなわぬポルノを撮らされ、
悪慣れした監督もいたんでしょう。

本来なら、そんな監督の身勝手は、
会社が叱咤し、矯正せねばならないはずですけど、
90年代のポルノ映画業界は、
それすら出来ないほど無気力状態だったのでしょうか。

そんなのを見せられた私は、なんと不幸だったことか!



さて、こう書き進めてくると、
園橋はポルノ映画に幻滅したかのように思われそうです。

でも違うんですよ。

実は、次の「痴漢電車」映画に、感激してしまったのです。

この長いシリーズ文章を書き始めたのは、
痴漢映画について語ってみたかったからなのです。
でも、まだ書いてないし、書き切る自信も無い。
この週末の競馬で勝ったら、勢いで書くぞ!


                  まだまだ、つづくはず