星新一「宇宙のあいさつ」

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しばらく前の記事の続きです。

さて、星新一の作品は、超時代的な設定もあり、
「古さを感じない」との意見をよく見かけます。
でも私は全く逆で、強く時代を感じながら読みました。

星新一世界の基は、

 「バブル崩壊前までの高度成長社会的な気分・幻想への風刺」

だと私は思っています。
(まあ当時の文学作品とは、多かれ少なかれ同様なのでしょう)

単純な出世主義・人生の階段とか、
科学技術の作り出す夢のような未来図とか、
そんな楽天的な社会的気分に対して、
皮肉とウィットを込めて「ほんとかな?」と揺さぶりをかける。
自信満々な日本人に、小さな不安の芽を植える。
「人間ってそんなもんじゃないでしょ?」
「社会ってそんなもんじゃないでしょ?」

これ、今の時代にはどう受け入れられるのでしょう?

私が星新一に惹かれた中学時代は80年代の前半です。
当時、日本の大人たちは自信を持っているように見えました。
終身雇用・年功序列ジャパン・アズ・ナンバーワン
科学が夢を語る時代。

一方、現在の私たち大人は、
自信を持てず常に不安を感じながら生きております。
子供たちも、当然気付いていると思うのです。
明るい未来を語る大人なんて、ほとんどいないですもの。

環境、教育、医療、少子高齢化
治安、国際競争の激化、不安定化する世界・・・

そんな中、現在の中高生たちは、
さらに不安を増幅させる感のある星新一の本を読むのでしょうか?
読むにしても、当時の私たちとは捉え方が違うのでは?

最近の子供たちが、どんな読書をするのか私は知りません。
ただ、そんな彼らに支持されているらしき曲の歌詞を聴くと、
その「ピュアさ」がとても印象的です。
90年代から、人生や愛の応援歌的な内容が主流になってますが、
最近はそれがさらに「ひたむき」になっているように感じます。

自信が溢れているように見えた時代には、
皮肉たっぷりの星新一や、批判的な文学や、
暴力的な表現が多く受け入れられたのに対し、
不安が溢れる現代は、ピュアな作品が多くなってるんですかねえ?


根拠の薄い、単純化し過ぎる印象論ですけど、
私はそんな思いで星新一の本を読み返しました。


星新一氏については、昨年、最相葉月さんの本が出ていて、
機会があれば読んでみたいと思ってます。