裁判も人を育てる場であれや

◎川柳「裁判も 人を育てる 場であれや」





見世物のような裁判になってしまった印象。
責任は・・・弁護団にあるのかなあ。
それともマスコミ?

個人的には無期だろうと思うのです。
弁護団と同じ意見という訳ではないですよ。

そもそも、未熟な精神が原因で起こした犯罪だと言うのなら、
弁護の過程でそれを少しでも治してやろうとするのが人間的だろうに。
なのに逆に、幼稚で愚劣な「見苦しさ」を押し付けてしまった感じ。
「それが弁護活動だ」と言われたら、返す言葉も無いんですけど。

私が死刑は回避するべきだと思うのは、
彼が子供の頃に、母親が自殺しているとの情状一点からです。

どんな女性で、どんな母子関係だったのか知る由もないが、
天国にいるにせよ、地獄にいるにせよ、
その魂に少しでも安らぎをもたらす裁判に出来なかったのだろうか?

潔さのかけらも無い言葉を繰り返したことで、
若くして未熟な子供を残して自殺した母親の人生は、
無意味であるどころか、社会へ害悪を無責任に放置した、
完全否定されるべき一生だったと決定付けられてしまった気がする。

それに追い打ちをかける母胎回帰なる説明。
あれは、たとえ真実だとしても、口にしてはいけないのではないか?
「死んだって」黙っているべき事ではないのか?
鬼の首でも取ったように利用すべき事なのか?

無残で非情すぎるではないか。



私がもし被告にアドバイス出来るとしたら、
書かされていると疑われるような遺族への謝罪の前に、
亡き母の魂に対して「ごめん」と手紙を書いてみたら、と言いたい。
納得できるまで、書いて欲しい。

それが出来てから、改めて遺族に手紙を書けば、
少しでも通じる言葉として読んでもらえるように思うのだ。

あの木村洋という立派な男に、
ごくわずかでも謝罪の気持ちを伝えることが出来れば、
母親がこの世に存在し、彼を産んだ意味が、
小さな小さな一滴として残る。

それをなすことが彼の務めであり、
そのための時間ならまだある。そうなって欲しい。