駄川柳右手が勝手に作ったの

◎川柳「駄川柳 右手が勝手に 作ったの」






「従業員が勝手にやった。私は知らなかった」
そう言って、大顰蹙を買う経営者が続出している。

私は、枕元にノートを置き、
夜中に思い付いた事などをメモしているのですが、
朝目覚めて確かめた時、
あまりにも下らぬ内容に愕然とする場合が多い。

そんな時、
「これは右手が勝手にやったことだ。私(頭脳)は知らなかった」
と自分に言い聞かせ、納得することにしている。

某社元工場長と違って、我が右手は泣き寝入りをするだけなので、
安心して責任をなすりつけることにしているが、
そのうち寝ている間に自分の右手に殴られるかも知れない。

まあ以上は半分冗談なのだけど、
実は半分くらい本気でもある。

あるヘヴィースモーカーの作家さんは、
時々自分が書いているのか、タバコが書いているのか分からなくなる、
という内容を話されていた。

私も、歩いている時に川柳が出来る事が多いのだが、
これも頭というより、足が川柳を作っているような気がする。
最近は甲山を見ながら歩くことが多いし、
実は甲山が園橋を媒体として川柳を作っているのかも知れぬ。

私の場合、
内容に対する責任転嫁の手段として以上の様に考えているが、
もしかしたらこれは句作の理想の境地かも知れないです。

自分が川柳や俳句を作るというよりも、
社会や自然が私を通じて五七五を詠うのだと思えるようになれば、
力むことなく素直に言葉が出せるような気がします。