身近に短い期間あった東北


東日本大震災から、ちょうど半年。

震災後、ここに記事として入れようと思いつつ、
書ききれずに終わったネタが幾つかある。

今日の内容もその一つ。
ちゃんと確認しなきゃ、と思っていてそのままなのです。
もう面倒なので、確認せぬままに書きます。


1970年代、私は首都圏のとあるニュータウンで、
幼稚園から小学低学年までを過ごしていた。

確認できるならしたいのだが、
当時、人口増で慢性的な教員不足に陥っていたのを、
東北からの人材が支えてくれていたのでしょうか?
首都圏全体がそうだったのか、
私らのいたニュータウン限定だったのか、
もしくはあやふやな我が記憶が増幅されているだけなのか?

鈍感だったのか私は全く気付かなかったけど、
例えば授業参観だとか、家庭訪問だとか、
そんな折々に「あの先生の言葉は東北だね」などと
親連中が話すのをよく聞きました。
もちろん授業などは標準語でやっているのだけど、
大人の耳には微妙なナマリが分かるんですね。

私や、我が兄弟は通わなかったけど、
団地の中の保育園には、とても微笑ましい噂があったらしい。
子供を預けると、ずーずー弁を真似するようになって帰って来る。
保母さんの多くが東北の人で、出てきたばかりだったのか。
保護者がいる間は堅苦しく標準語を使うのだが、
子供たちだけになると地の言葉が出る。
子供だってリラックスしている保母さんが好きだから、
知らぬ間に真似をしてたりしたらしい。

もしタイムマシンがあったら、
当時の職員室にお邪魔して、先生の出身地別割合を確かめたい。
特に幼稚園のを知りたい。
我が親が話していた内容が正しければ、かなりの数字だ。

そんな環境下でずっと育っていたら、
東北の言葉への慣れや親しみも深まっていたろうし、ちょっと惜しい。


さて、小学生の途中で兵庫県に引っ越し転校したのだが、
こちらに来ると、同じ県下の丹波篠山出身の教員が多かった。

関西弁自体に圧倒され困惑していたので、
微妙な関西内のナマリの違いには気付かなかったけれど、
雑談の際に「源氏の子孫」と言う先生が複数いたことが、
妙に忘れられないでいる。