アイ・キャン・ラヴ・ユー・ベター


 とっても短絡的で単純すぎる一般論から始めまする。


 その昔、女性は自分のパートナーを選べなかった。
親などが選ぶ相手を受け入れるしかなく、全くの受け身。

今では、そういうことはほとんどない。
能動的に好きな相手を選ぶ。

ところで、その昔、
一緒になってから、手のひらで男を転がすように扱い、
最終的には自分にとって都合のよい夫にしてしまう、
という夫婦が多かったようだ。

向田邦子の随筆が、そんな世界だった。
「お父さんは、お母さんがいなかったら何もできない」と言われたり。

つまり、相手を選ぶのは「受け身」であっても、
その後に自分好みの男に変えて行くという点では「能動」。

逆に今は離婚が増えている。
これは、選ぶのは「能動」だけど、
後に思っていたような男でなかった、と気づくからか。

昔の女性の、粘り強く男を変える(育てる)「能動」が、
弱まっているのかな。


 さて、ここまでは単なる前置き。
実はこの記事は、ディキシー・チックスについてなのである。
なんと今週3回目。

ここまで読んでガッカリされる方がいたら、申し訳ない。


 彼女たちのメジャーデビューとなったアルバムは、
"I Can Love You Better"という曲で始まる。

「私は、もっとより良くあなたを愛することができる」
そんな意味の、名刺代わりの一曲。

直訳だと感じが伝わらないな。
「あんなんより、もっとワタシの方が、アンタを愛してあげれるで」
関西弁だと、こんな感じか。

初めてこの曲を聴いたとき、歌詞の詳細は分からなかったけど、
"I love you"ではなく、"I can love you"なのが興味深かった。

めっちゃ能動やん!

昔の日本女性の長期的な能動性と同じではないが、
選ぶだけでなく、その後も能動を宣言しているようではないか。
愛はもらうものではなく、与えるもの。

「窓辺に座って、白馬の王子様を待つ」のとは正反対の姿。

カントリー界に、こんなセンスがあるんだ!

それに気づいて、とっても嬉しかったのが1998年のこと。


(つづく)



 私のディキシー・チックス話は、まだまだ続きます。
コメ欄を閉じて、好き勝手に書かせていただきます。