インプット・アウトプット(近々雑感)



◎頭は、インプットとアウトプットで成り立っている、
と私は整理している。

読書をするのはインプット、日記や手紙を書くのはアウトプット。
話を聞くのはインプット、喋るのはアウトプット。
ま、これらには数多くのパターンがある。

大切なのは、そのバランスを保つべき、ということ。

某大作家さん、今でも数多くの連載を抱えているようだが、
もう何年も前から、私にとっては中身が薄過ぎて、
読むのをやめてしまった。
アウトプットばかりで、インプットがなさすぎ。

私は司馬遼太郎の著作が好きだった。
彼も多作の部類の作家さんだったと思うが、
あの「街道をゆく」を読むとインプットの量・質の凄さに圧倒される。
インプットに支えられたアウトプットであり続けたために、
晩年最後まで読む価値のある文章ばかりでした。


◎この「バランスが大切」ってのは、たぶん一般人でも同様である。
私自身も、普段はそれを心がけているつもり。

しかし最近は、意図的にそれを崩しております。
インプット過多状況にしている。

これまでの自分のあり方を固め直すとか、
新しいものを作り出そうとか、
そういう必要性を感じた際に、
これまでもやってきました。
自分に投入したい物がたくさんあるのを再発見した事もあるけど。

未消化のまま大量に食べ過ぎているだけの様な気もするが、
食べ物でなく情報ってのは、
摂りすぎて健康被害が起きる心配もないしね。


◎そんな訳というか流れで、
このところ本ブログには川柳(もどき)を入れてない。

ちょこちょこ作ってはいるが、
自分の中でしっくり来ない部分が残るので、
もうしばらくはインプットに注力するつもり。

ま、馬券を買うという行為も、
実は私にとっては「表現」であるからしてアウトプットだ。
これだけはやめられないのが、我ながら不思議。