九月尽



 天候不順だった八月と比べると、
秋晴れで清々しい日が多かった今年の九月。
しかし、寂しいニュースも多かった。

競馬ファンとしては、
佐藤哲三騎手の引退発表が胸に来ました。
でも彼には、まだまだ先の未来がある。

先日、なるべく人が見てない機に、
ダイエーの写真を撮っておいた。
撮れなくなる日が来るそうなので。
どこに行ってもダイエーのあった時代を知る身として、
まさか被写体になるとは思わんかった。


 個人的に気になる訃報の多い月でした。


浪商の「ドカベン」。

1979年というと、簑島の春夏連覇が記録に残り、
多くの方の記憶には星稜・簑島の歴史的名勝負が残っているが、
前評判やその後のプロでの活躍を考えると、
浪商コンビの年だったと私には思えるのです。

小学時代の私にとっての高校野球の一番のヒーローは、
牛島投手で、投げ方を真似して遊んだものです。
キャッチャー香川のミットから全く目を離さないフォームは、
草野球の参考にもなりました。

亡くなられましたが、
香川さんの笑顔は永久に不滅。
あれからずっと野球好きです、ワタシ。
ありがとうございました。




地元が彼女のおひざ元でしたので、
初めて見た駅前演説をする国会議員も彼女だったはず。

20歳になり、選挙権を得た時、
私は京都に主として住んでいたのですが、
住民票は移さなかったので、投票は兵庫県でしてました。

当時、バイトをしていた京都のとある商店で、
選挙前になると、そこのオバちゃんが、
「○○党の◎◎に入れて」とバイト全員に口うるさかった。

ところが、私の投票場所が宝塚市と知ると、
「あらぁ、じゃあ土井さんの所ね、うらやましい~」
と顔つきが変わったのが思い出されます。
彼女が推していたのは、社会党ではなかったのに。

あの頃の土井たか子さんって、そんな存在でした。




記憶が定かではないが、
最初の国政選挙の投票で私は土井たか子に一票入れたはず。
当時、リゾート法に腹を立てていたのが一因です。

そんな事もあり、宇沢先生の公共経済学の本を、
頑張って読もうと何度も手にしました。
ただ何度も手にしつつ、最後までちゃんと読んだ記憶はない。

逆に、歯が立たなかった事が強く記憶に残って、
青春の一ページになっている面もあります。

今なら読めるかなあって思いはするのですけど、
さてどうですやろ?



 木曽御嶽山の噴火

多くの人命が失われたようで、ショックです。

関西の低山しか登らぬ私なので、
火山とか三千メートル級とかは無縁。
でも犠牲者全てが同じ山好きと思うと、
たくさんの仲間を失った喪失感を覚えます。

よくある山の事故のように、
犠牲者に落ち度がある場合は、
心の整理がつき易いのですが、
今回は本当に辛い。

失われた全ての魂に、やすらぎを。