震災後二十年にて気付くのは


◎「震災後 二十年にて 気付くのは 戦後の年を 数ふ思いよ」


子供の頃は、よく分からなかった。
8月6・9日の原爆忌や、15日の終戦の日になると、
ニュースで「戦後○○年」が話題になる事の意味を。

直接の被害者でない私でも、
阪神淡路大震災から20年と聞くと、
思い感ずる所は多々あります。

20年で、この感覚。

ってことは、戦後40年とか、50年とか、70年とか・・・

震災20年から受ける思いと同じ線上に、
戦争体験からの年月が乗っていないとは思う。
本質的に全く異なる事象だから。

ただ、時が過ぎるとは、こういう意味なんだな、と。



◎「いつか来る 揺れを知るのが 樹のみの日」


ペットの犬や猫は、長生きをして20年程度だろう。
ということは、あの震災を知る犬猫は僅かに残るくらいか。

私が好きなサラブレッドは、長生きをして30年ちょい。
まだ元気にしているのがいる。

王子動物園や六甲山牧場に、
震災時からの生き残りってどれくらいいるのかな?

いつの日か人間も完全に代替わりして、
生き物として震災を知るのは樹木だけという日が来る。
それは仕方がない。