梅の香とアークの竹内街道・前篇


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昨年の春頃、このブログで街道歩きを始めた、と書いた。
自転車も使って「京都-神戸」間の西国街道や、
「大阪-伏見」の京街道の歩きをやりました。

で、「大阪-奈良」間の奈良街道と竹内街道も、
すぐ続いて完歩するつもりだったのですが、
夏の暑い中の町歩きは億劫だったり、
他に歩きたい場所が出来たり、
延ばし延ばしで2014年が終わってしまい心残りでした。

両街道とも、昨年中にチョコチョコ歩いていたんですけどね。
制覇しようとすると時間配分とかも面倒だったのです。




で、昨日、竹内街道を歩ききりました。
全行程約26キロですが、
なんと結果的に4回に分けて歩いたのです。
周囲に興味深い史跡等が多すぎて、
寄り道に寄り道を重ねてしまった。

もう一度二度、街道とは関係なしに、
歩き直してみたい区間も複数あるほどです。



さて、出発!

近鉄磐城駅近くの長尾神社から。
一番上の写真も、
長尾神社横の街道です。

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竹内街道のこの部分となると、
私は司馬遼太郎の「街道をゆく」を思い出します。
彼の当時の紀行では、
もう暗くなっていたそうです。

だから私には「闇の竹内街道」の先入観しか無かった。
この写真は昨年4月のものですが、
西日の強烈さにたじろいだのが忘れられません。
「日中は明るいのね」と、変に納得しました。


芭蕉ゆかりの綿弓塚。
「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」という句があるとか。

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菅原神社。
ここまでの区間は、観光宣伝臭を気にしなければ、
とても良い気分で歩けます。

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府県境。
しばらくは交通量が多くて、
危険かつつまらぬ部分があったりします。
峠の最高点辺りで、ちょいと休憩。

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鹿谷寺(ろくたんじ)趾に寄り道。
8世紀頃の寺院の趾だそうです。
この街道、聖徳太子もきっと歩いたはずです。
でも彼の時代から残っている物はほとんど無い。
本寺も没後・・・ザンネン!

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白梅が香ってました。
これは聖徳太子の時代から同じと思いたいが、
品種的にはどうなんだろう?

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竹内街道歴史資料館。
この辺りから、再び歩いて気持ち良い街道になります。
身体を休めながら、資料を見せてもらいました。

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難波宮天皇さんですね。
大阪を首都にしてくれて有難う。

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またまた寄り道をして、叡福寺の聖徳太子御廟。
聖徳太子の墓だというのだから、
もっと観光客が来ても良いのではって思うんですけど。。。

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近くでは紅梅が香ってました。
きれいな青空に感謝です。
歩いて良かったと心の底から思えますから。

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つづく