「東の旅・発端」の暗越奈良街道・後篇
ただ、奈良市街に入ってからは、
街道伝いに歩くのはやめ寄り道しました。
実際には歩いてない区間もあるので、ご容赦を。
昔の旅人も、いろいろ見物して回ったと思うんですよね。
さて、きついきつい坂道の暗峠に入ります。
この道路幅でも、超急坂でも国道です、308号。
「酷道」とも呼ばれます。
Youtubeで、ここを車で登るだけの動画がいくつもあります。
ただ一般の道だと思うとキツイですが、
山歩きだと思うと大したことは・・・ない・・?
私は息が切れました。
まだまだヤワだ。
芭蕉句碑。
「菊の香に くらがり登る 節句哉」
芭蕉がここを通ったのは1694年旧暦9月9日。
亡くなったのが10月12日。
彼の最後の旅が暗峠越えだったそうです。
大して良い句とは思えないですが、
病をおしてきびしい峠越えをされて、
この軽みはさすが。
ところで、落語には、
「暗がりと いえど明石の 沖までも」
という句碑が建っているとあるが、あったかなあ?
ちゃんと探してないもので。。。
まあ句碑にするほどの良句とも思えないけど。
弘法の水。
随分と登って来ての水場です。
ここと直接は無関係ですが、
生駒山系は、滝行の場が数多くあったことでも有名。
でもトンネル工事などで地下水脈が変わったこともあり、
最近では廃れてきているとか。
宗教の場としての生駒を、いつか再訪して確かめたいです。
有名な石畳の暗峠。
歩く人みな、ここでホッとしたはず。
昔は茶屋や旅籠があって、相当賑わったようです。
さあ、あとは下り。勇気凛凛、足が前に出ます。
石造阿弥陀如来立像。
この辺りでは、石仏寺を撮っておくべきだったのに、
忘れて通り過ぎてしまった。
その代りと言っちゃあ失礼すぎるだろうけど、
阿弥陀如来様であります。
1270年の銘があると説明文にありました。
元寇のちょっと前ですね。
一度目の文永の役が1274年ですから。
榁の木峠中腹から、振り返って生駒山系を望む。
恥ずかしながら、奈良の地形に疎い私は、
矢田丘陵なる隆起があり、
標高約270mの榁の木峠があるとは知らなんだ。
落語もよく聞くと
「やれやれと思う間もなく榁の木峠」とありました。
実際に歩いて、この言葉が身にしみました。
榁木弘法大師堂。
ここまでで意外に体力を奪われましたが、
後はほぼ下るのみです。
街道の雰囲気がそこここに残っていて、
とても気分よく歩ける区間になります。
追分本陣村井家住宅。
この本陣を過ぎると追分梅林があるはずなのに、
閉園中でガッカリ。
梅の木もない殺風景な斜面が広がってました。
垂仁天皇陵。
さあ、もう奈良市街です。
尼ヶ辻、唐招提寺にほど近い、美しい古墳でした。
で、ここから私は平城京跡→佐紀・佐保の古墳→
東大寺転害門と歩きました。
街道からは外れたので、省略させていただきます。
落語の二人連れは、私が通らなかった猿沢池の横の
印判屋庄右衛門という有名な大きな旅籠に宿泊。
初日に30数キロを歩いたようです。
お疲れさまでした!
春日大社一の鳥居。
春日大社。
ここでゴール!
本当は、本殿→一の鳥居の順に歩いたのですが、
街道の順番通りに写真は配置しておきます。
私もこの日は30キロ近く歩いたようです。
二日に分けましたが、寄り道をして、
途中、トイレを求めてさまよったりもした。
まさか、古墳のお堀に立ち小便は出来ませんから。
伊勢へ行くには、普通、上ツ道を南下します。
落語では、ここまでがいわゆる地噺で、
以降、煮売屋に七度狐と噺として面白くなります。
私も、いつか伊勢まで歩こうかな。
なまじ奈良まで歩くと、更なる欲も湧くけれど、
そこは我慢、我慢。。。