シイの実について


イメージ 1


写真は、シイの木。
この樹皮だから、たぶんスダジイ


前回に引き続いて、


の内容からの感想などです。




本書の記述は、ほぼ東日本中心で、
西日本についてはイチイガシだけで片付けられている印象。

アク抜きせずに食べられる西日本の木の実というと、
普通は真っ先にシイを思い付きます。
しかし、本書において、シイの実についての言及は、無し。
(だったと思う。詳細に再読して出てきたら、ゴメン!)

シイの実が見つかっている縄文遺跡もあるのだから、
ちょっとは記述していて欲しかった。
ま、縄文時代を研究する上で、
東日本中心になってしまうのは仕方ないが。


私の父は、九州出身である。
子供の頃、おやつ感覚でシイの実を食べた記憶があるそうだ。
検索すると、今でもシイの実売りの夜店がある、と出てくる。

カロリーや栄養バランスの面で、
シイの実が主食になり得るのかは分からぬが、
縄文時代から現在まで、
長く続く西日本の食文化の一つが、シイの実なのである。


さて、ブナ科の木の実の中で、
渋がほぼ無いものの代表がシイ(スダジイ、ツブラジイ)とクリ。

クリに関しては、つい先月、
ものと人間の文化史」シリーズで読んで勉強したし、
本書でもいろいろと書かれています。
縄文時代から、ほぼ栽培状態だったらしいし、
日本書紀には「丹波グリ」の大粒品種の記載がある。
現在、減ったとはいえクリを食べる習慣はあるし、
クリ拾いもレジャーの一つとして残っている。

しかし、シイはどうだろう?

記述が全く無い本書だけでなく、
縄文時代にシイの木を人為的に管理していたという話は、
まだ読んだことがありません。

品種改良で、大粒のシイの実が作られたという話も・・・

今、山で見かけるシバグリの実は、頼りないくらい小さい。
あそこから、人間の関与があって、大きなクリが作られた。

シイの実だって、やれば大粒化するだろうし、
より美味にもなるはずだと思うんだけど。
縄文時代に限らず、現代まで、
品種改良は行われてこなかったのだろうか?


九州地方は暖かい気候であり、
野生のドングリであるイチイガシがたくさん採れるので、
縄文人はそれらに満足して植物の栽培をしなかったようです。

うーん。

東北地方では、主食となるクリはあったけれど、
自然状態では満足できるほどでは無かったから、
工夫して、苦労して、管理する技術が育まれた。

一方、九州では、イチイガシが、
いや恐らくシイの実も十分にあったから、
そこから新しい一歩が生まれはしなかった。

分かるようで、分からぬようで、分かりたくないようで・・


私は東南アジアにしばらく住まわせてもらっていた。

「熱帯では、ヤシの実とバナナが幾らでも成るから、
人間が努力をしない」

という言い方がなされたりする。
私自身、人生の中でそう思ったことが一度も無い訳ではないが、
当地でお世話になった身としては、
理屈は別として、納得し難い部分が心の中にあります。

西日本の縄文時代も、似たように言われてしまうんだなあ。
納得したくは無いが・・・