安心と油断の隙間地が揺れる



◎「安心と 油断の隙間 地が揺れる」

◎「地は揺れど 生きてることは 素晴らしい」

◎「地滑りで 蝉は何匹 死んだやら」

◎「備えあれば 憂いなしとは 言うけれど 
どう備えても 足らぬ気がする」



意味のある表現になっているのか、
間違って誰かを傷つける言葉になってないか、
などなど考え込んでもしまうのですが、
やはり自分の言葉を何かしら残しておきたい。

それが私のエゴなのであります。

直接の被災者ではないが、
21年前当時の自分の文章は残っていない。
何も書かなかったから。

あの時の自分に声を掛けられるなら、
「何でもいいから、何か書いとけ」と言いたい。

だからその代り、
上手な表現ではないし、
若くて勢いある言葉でもないけど、
今の精一杯をここに。


追記になっちゃうけど・・・
宝塚市まで私は公共交通機関と徒歩で戻ってきた。
翌日、阪急西宮北口まで大阪から電車が通じ、
被災地の東側の地域では、
いろいろ自由に動けるようになった。

今回も、公共交通さえ復旧したら、
いろいろな事が一気に好転する、はず。
熊本駅の再閉鎖は残念だけど、
空港は明日から一部戻るそうだし、
着実な前進を期待しています。

もうこれ以上、
被害が出るほどの揺れがなければ、
だけど。