森廣信子「ドングリの戦略」
私は「いらち」である。
だから、すぐに明快な答えを求めてしまう癖がある。
「この植物は○○である」
「この動物は△△である」
などと、きっぱり単純に書かれてあると、
簡単に目からウロコが落ちてしまう人間なのです。
で、実際、そういった明快な自然本は面白い。
しかし本書は、そうではない。
著者は、17年間にわたり、
ドングリの落下量を複数の地点で調べ、
特にドングリの量の年ごとの変化について、
そのデータを元に考察を進めていく。
他地域のデータや、他の論文も引用し、
丁寧に丁寧に議論を重ねていくのであるが、
やればやるほど「考えるべきことが、どんどん増えていった」と
迷路を彷徨われている。
読み手である私も、著者と同行二人で彷徨わされる。
でも、最後まで明快な答えは出て来ない。
内容を覚えておいて、
他人に雑学として披露できるような点もない。
けれど、読んでいる途中で、
私は不思議な感動を覚えてしまった。
これこそが「森」そのものじゃないか、と。
著者が、どのように議論を進めるのか、
それは本書を読んでいただくしかない。
無意味に彷徨っておられるのではなく、
考えておられる事一つ一つに大切な意味があるのだし。
文章は読みやすいです。
この内容を素人に読ませる文章を書くのだから、
かなり高い力量を持った著者です。
誰にでもお勧めしたい一冊とは言えないが、
森に興味のある人は手にするべきだと思う。
最後にちょっと我田引水を。
本書が扱っているのは、ミズナラ、コナラ、クリの実である。
その中で、コナラは我が近所で最も身近な存在であり、
私も常に意識しつつ山歩きをしているつもりである。
「今年はドングリが多いな、少ないな」と、
勘とぼんやりした記憶を元に考えていたりもする。
が、本書の最後にこんな文章があった。
この点に気付いてなかった自分を恥じてもいる。
二次林が作られたのは人が定住してからのことだから、
歴史的には最近のことになる。
ドングリの性質はそれ以前に出来たものであり(後略)
そう言われれば、そうだ。
私はナラ枯れの影響もあり、
コナラとはどんな木なのか知りたいと思っている。
しかし、普段の私が見ているコナラは、
相当期間放置された二次林のものばかり。
人間活動が影響力を持つ以前からコナラは存在し、
そこで他の樹種などと競争しながら、生き残ってきた。
それが、燃料に適しているという主な理由により、
コナラからすると思わぬ形で、
特に西日本の二次林はコナラだらけになってしまった。
だから、二次林のコナラだけを観察すると、
一見、不合理な性質があったりもする。
原生状態では生き残りのために必要だった生態が、
二次林内では無意味になっているような。
人間に飼われている犬にも、
「何のために?」と思わされる行動があるけど、
野生のオオカミ時代の生態を考え併せると、
腑に落ちるという部分がいくつかある。
となると、コナラについて本当に知りたいと思ったら、
原生状態の木を観察しなきゃならぬのだろう。
しかし、それは一体、どこにあるのだろう?