十三夜



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どうにもこうにも、むかむかして仕方ない。

ここ数日のあのニュース。
目にも耳にもしたくないが、
どうやっても入って来てしまう。

私なんかが考えたって思い悩んだって、
何にもならぬ事と分かっているが。


あのニュースの直前、
「命」という意味で一番考えされられたのは、
正倉院ものがたり」の最終回の内容からでした。

ちょっと前にも記事にした、西山厚先生による、
NHKラジオ第二「正倉院ものがたり」全5回。

特に、第二回の光明皇后の話が印象に残ったが、
それぞれの回それぞれに心に響くものがあり、
私にとって、本当に貴重な放送になりました。


最終回に、戦時中の話題があった。

召集令状が届き、死を覚悟した若者の中に、
出征前に和辻哲郎の「古寺巡礼」を読み
奈良を巡りたいと思う人が多かった、
とのことだった。

日曜夜に放送を聴いて以来、
このことが妙に心に引っ掛かっている。

例えば、18歳の時の自分なら、どうしただろう?
今の若い世代なら、どうするだろう?


有り難いことに、
今は当時と比べ物にならぬくらい平和だ。
死地に赴かねばならぬ状況にはない。

それでも、若くして、がん等の難病により、
短すぎる余命を告げられる人はいる。
どこかに行くとしたら、ディズニーランドだろうか?

ただこれは、当時とは状況が違う。
戦時中は自分一人が死ぬのではなく、
同世代の仲間も死ぬだろうし、
空襲などで日本に残った人だって死ぬだろうし、
日本の文化そのものが死ぬという強い恐れの中で、
「奈良の古寺」が選ばれたのだろう。

現在でも、日本人みんなが死ぬ、
それもアメリカに殺されるとなれば、
行き先はTDLではなく、また再び奈良や京都になるのかも。

司馬遼太郎は、仲間と山に行ったと書いてたように記憶する。
道が分からなくなり彷徨い歩いて、
たどり着いたのが高野山の町でビックリされた。


私もこれに近いかもしれない。
18歳の自分なら山に行くことはなさそうだが、
目的地なしに彷徨うタイプだと思う。
たぶん一人で。
青春18切符とか、周遊券とかを使って。

小学生の頃、天文の本を買ってもらって嬉しくて、
星や月を見るのが好きだったから、
どこか空気の澄んだ土地に行ってみたかな。

そんな想像をしています。


写真は、昨夕の十三夜。

死神に魅入られたような若い人がいるとする。

どうすれば、その人を救う事が出来るのだろうか?

自分が子供の頃に大好きだったものを思い出し、
それを追体験してみたらどうかって思うんだけど、
人はそれぞれだから、無意味なんですかね?

私の場合、月を見ると、
おもちゃのような天体望遠鏡を買ってもらった日に
帰ることが出来る。
そこが自分の原点の一つ。

どんな人にも、そんな帰ることのできる原点があれば、
と思うんだけど・・・・
やっぱり、こんな事を考えても無意味ですかね。