川柳は、博打から生れたものでもある、ということ①

私のように、競馬などのギャンブルが大好きで、
かつ川柳・俳句・短歌も大好きである人間は、そう多くないはず。
違和感を覚える方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。
私の内面では、何の矛盾もなく同居してくれているんですけどね。

そんな違和感を払拭してもらうため、という訳ではありませんが、
今回の記事のテーマは「川柳と博打の繋がり」であります。

まだ最後まで書き終えていないので、
全体として、かなり長い記事になる可能性もあります。スンマセン。





>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

「バクチ」という人間の古くからの遊びについては、
過去、さまざまな研究がなされ、本として世に出ています。

法政大学出版局の、「ものと人間の文化史」シリーズの中の、
増川宏一著「賭博」(全三巻、それぞれ1980、82、83年)は、
古今東西のさまざまな博打を網羅的に題材とし、
その社会的影響や、規制などについても詳細に書かれていて、
とても興味深い著作になっています。

現時点で、日本語で、博打のことを知りたかったら、
まず最初に当たってみるべき本はこれなのだろうと思います。

そして、この中に、賭博として「前句付け」が出てくるんですねえ。

「前句付け」とは耳慣れない方もいるでしょう。
辞書の助けを借りると、以下の通り。


  まえく‐づけ【前句付】

  1 連歌俳諧で、ある下の句(短句)の前句に対して、
    上の句(長句)の付句を試みること。
    また、逆に長句の前句に短句の付句をつける場合もある。

  2 雑俳の一形式。二句だけの付合が独立したもの。
    出題された前句(多くは七・七の短句)に
    付句(多くは五・七・五の長句)を付ける点取競技。
    出題した宗匠が、集まった句を撰してその高点句を刊行した。
    万治年間から庶民の間に流行し、のち冠付(かむりづけ)、
    沓付(くつづけ)、川柳・狂句などの諸形式を生んだ。

  国語大辞典(新装版)小学館 1988


今回話題にしているのは、「2」の方です。
ちょっと説明の仕方に文句を言いたい所もありますけどね。

具体例で説明すると、
「斬りたくもあり 斬りたくもなし」という七七の題を出し、
前につける五七五を考えて下さいと、募集するわけですね。
そして、集まった付句に得点を付けて、競わすわけです。

ここから「盗人を 捕らえてみれば わが子なり」という名句が生れました。

他にも、

●役人の 子はにぎにぎを よく覚え(運のよい事 運のよい事)
●これ小判 たった一晩 居てくれろ(飽かぬ事かな 飽かぬ事かな)
●片棒を かつぐ昨夜の ふぐ仲間(替り替りに 替り替りに)
●母親は もったいないが だましよい(気を付けにけり 気を付けにけり)
●女房は なんぞの時を 待っている(恨みこそすれ 恨みこそすれ)
●屁をひって おかしくもない 一人者(捨てて置きけり 捨てて置きけり)


何故これが賭博なのかというと、
応募の際に添削料(点料)としていくらかの金を作者から徴収し、
順位によって賞品や賞金を与えたからです。

この様な前句付けは、1658-60年の万治年間に、
河内国俳諧師日暮重興がはじめたのがきっかけであるようで、
急速に広がっていったようです。

ところが、1670年の大坂法度では、


  近頃、前句付けと称して其品により褒美を与え、
  人を集めて博奕同様のことをしていると聞く。
  不届きなので今後はこの様な類の賭は強く禁止し・・・(後略)


と、早くも取締りの対象になってしまっています。

この前句付けが、後々に川柳へとなっていく訳ですが、
川柳が博打であるとして禁止される世の中って、信じられます?


(つづく)