川柳は、博打から生れたものでもある、ということ②

添削料を集め、高得点の作品には賞品・賞金を出す前句付けが、
賭博の一種であるとして、江戸時代に取り締まりの対象になっていた、
という内容を,任禄颪ました。

ここからしばし、話しが現代に飛びます。

だとすると、今行われている多くの俳句賞は、どう?

そう、投句料を徴収して賞金を出している俳句の賞は、
一般的には違うでしょうが、ギャンブルの一種と呼べないことはないです。

今、手元にある「公募ガイド」誌を見ると、いろいろありますねえ。

例えば、鎌倉全国俳句大賞(一般の部)は、
投句料が二句一組につき1000円で、大賞に選ばれると賞金10万円。

この他にも、
夢二俳句大賞:二句一組の投句料1500円で大賞20万円、
夕日俳句大賞:二句一組の投句料1000円で大賞が温泉利用券3万円等、
など、まだまだあります。

私の価値観から言えば、これらは全てギャンブルかも。
鎌倉全国俳句大賞に応募するということは、
オッズ100倍の馬券を千円買うのと、似たような気分ですよ。

もちろん、主催者側は、反論されるでしょう。

選者に有馬朗人などの著名かつ多忙な先生が入っているように、
高い水準と品位を保つため、お金も手間も気も使っているはずです。
正当な対価の1000円だとも言えます。

「有馬先生をやめて、その分のギャラを賞金にまわせ!」

なんて考えちゃったりするのは、私のような下品な人間だけ(?)

また、投句料を設定することで、
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的な応募を排除することが出来、
第一次選考、第二次選考などの手間を省くことが出来るでしょう。

実際にこの手の俳句賞に応募したことがないし、
調べたこともないのですが、賞の収支は公開されているんですかね。

単純に計算すると、100組の応募があると、大賞賞金は確保されます。
千組をどれだけ超えれば、収支プラスになるんでしょうねえ?
一万組以上の応募があれば、ボーズ大儲け、姉ちゃん呼んでの大宴会?


※鎌倉全国俳句大賞の主催者様、勝手なことを書いて、すみません。
 以降の話に関連するので、あえてこんな内容にさせてもらいました。

※有馬先生についても、本意ではありませんし。
 数多くのファンを敵に回したら大変だ。何より私の母がその一人。





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ヘンな書き方をしてしまいましたが、上に紹介した現在の俳句賞は、
俳句文化の普及・発展に尽くすべく存在し、努力されているはずです。

ところで、例えば私が、
よからぬ考えで新しい川柳賞を創設するとします。
金儲けですわ。

この園橋川柳大賞は、投句料一点1000円を徴収し、
集まった投句料総額の75%を目安に賞金として還元し、
残りの25%を運営経費や私的な収入にするシステムにしましょう。

つまり、100句の応募があったら、7万5千円を賞金にして、
2万5千円を、私が懐に入れる訳です。

これをやったら、具体的に何の法律に引っかかるか知りませんが、
きっと警察沙汰になるはずです。
明らかに賭博ですもんね。

でも、鎌倉全国俳句賞はセーフであり、
園橋川柳大賞はアウトであるという、法律の根拠はあるんでしょうかね。

それとも、警察や検察の裁量の範囲なんでしょうか。
主催者の信用や、全体的な活動実績で判断するとか。




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ぐだぐだと長く書いてきましたが、
結局のところ言いたかったことは、
川柳や俳句の賞と賭博は、一見、関連は無いように思えますが、
実は、やりようによっては、賭博そのものになってしまう。
それは過去のことではなく、現代でも同じである、と言うことです。

以下、江戸時代の話しに戻りますが、長くなるので、また次に。


(まだまだ、つづく)