植村直己著「青春を山に賭けて」
5月11日は、植村直己が日本山岳会の登山隊の一員として、
チョモランマ(エベレスト)山頂に立った日。1970年のこと。
そんな訳で、本日はこの本をご紹介。
自分がこれまで読んできた中で、
五本の指に入るほど面白く感じた一冊です。
この本に刺激され、本格登山を始められた方も多いと聞きます。
あまり若い時に読むと、影響が大きすぎるかもしれませんね。
私は、近所の山歩きが好きなだけで、冒険に興味は無いです。
でもそんな人間でも、十分に興奮させてくれる本でした。
一番面白かったのが、以下の部分です。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
南米最高峰アコンカグアに単独登頂したいのだけど、
許可が取れずに悪戦苦闘する植村直己(26歳?)。
その熱意に負けて、許可が出そうになります。
彼は軍の最高司令官の呼び出しを受け、
全装備の説明を大勢の前でやることに。
(前略)私の装備ときたら、フランス登山以来のものだから、
ひとさまにお目にかけるしろものではない。
毛の手袋は破れて三本の指が頭を出し、
毛の下着も破れてボロボロだ。
司令官は、
「ノー、グエノ、エキープメント」(よくない装備だな)
とかいって、しだいに表情が険悪になった。
「アコンカグアにひとりで登ろうとするのだから、
さぞかし立派な装備を・・・」
と思っていた彼の期待を、私は明らかに裏切ったのだ。
私は、「これはいけない」
とあわてて、いそいで弁解をはじめなければいけなかった。
私は穴のあいた靴下に手をつっこんでみせ、
「靴下は足にはくばかりでなく、
寒いときにはこうすれば手袋のかわりになります」
とやった。黒山の人だかりがドッと笑った。
私はついでに司令官の前でズボンをぬぎ、セーターを取り出して、
「セーターはこうすればズボンにもなります」
とさかさまにはいて見せた。
黒山の人はこんどはギャーギャーと腹を抱えて笑いころげた。
しかし私は真剣そのものだった。
汗をとばしながら必死に説明を続けていくと、どよめきはやみ、
みな催眠術にかかったように静まり返っていった。
「単独登山では背負う重量に制限があります。
装備がよくても食糧を持たねば不可能です。
単独登山は行動性、融通性に富んでいなければなりません」
苦肉の策からの実演で司令官は納得し・・・(後略)
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私にとって彼の真骨頂は、
身体一つで異文化に飛び込んで行くところです。
次作「極北に駆ける」でも、エスキモー集落に入る時、
子供たちの前で、ラジオ体操をやる印象的なシーンがあります。
私の乏しい海外経験にも通じるのですが、
言葉があまり通じない状況で困った時、
一番大切なのは「ヤケクソ」になること。
そして出来たら「笑い」を取ること。
テクニックに頼った笑いではなく、
自分を卑下し過ぎる笑いでもなく、
必死になっている人間が必死だからこそ出せる民族を超える笑い。
この本には、
そんな彼のヤケクソがぎっしりと詰め込まれていています。
あっ、「ヤケクソ」とは、「自暴自棄」のことではないですよ。
腹をくくって必死になる、と言うことです。
もう一つ、この本にたくさん詰まっているのは、感謝です。
仰々しくない、しみじみとした謝意が散りばめられています。
はっきり言って、登山家たちの本の多くは、読みにくいものばかり。
登山家の間では古典的名著とされているものでも、
私には鼻に付く傲慢本としか思えなかったりします。
植村直己が、国民栄誉賞を貰うなど一般の人気が高かった理由は、
ここにあるのだろうなと思うのです。
※植村直己に関して、もう少し書きたいことがあるのですが、
長くなってしまったので、次回にさせて下さい。
チョモランマ(エベレスト)山頂に立った日。1970年のこと。
そんな訳で、本日はこの本をご紹介。
自分がこれまで読んできた中で、
五本の指に入るほど面白く感じた一冊です。
この本に刺激され、本格登山を始められた方も多いと聞きます。
あまり若い時に読むと、影響が大きすぎるかもしれませんね。
私は、近所の山歩きが好きなだけで、冒険に興味は無いです。
でもそんな人間でも、十分に興奮させてくれる本でした。
一番面白かったのが、以下の部分です。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
南米最高峰アコンカグアに単独登頂したいのだけど、
許可が取れずに悪戦苦闘する植村直己(26歳?)。
その熱意に負けて、許可が出そうになります。
彼は軍の最高司令官の呼び出しを受け、
全装備の説明を大勢の前でやることに。
(前略)私の装備ときたら、フランス登山以来のものだから、
ひとさまにお目にかけるしろものではない。
毛の手袋は破れて三本の指が頭を出し、
毛の下着も破れてボロボロだ。
司令官は、
「ノー、グエノ、エキープメント」(よくない装備だな)
とかいって、しだいに表情が険悪になった。
「アコンカグアにひとりで登ろうとするのだから、
さぞかし立派な装備を・・・」
と思っていた彼の期待を、私は明らかに裏切ったのだ。
私は、「これはいけない」
とあわてて、いそいで弁解をはじめなければいけなかった。
私は穴のあいた靴下に手をつっこんでみせ、
「靴下は足にはくばかりでなく、
寒いときにはこうすれば手袋のかわりになります」
とやった。黒山の人だかりがドッと笑った。
私はついでに司令官の前でズボンをぬぎ、セーターを取り出して、
「セーターはこうすればズボンにもなります」
とさかさまにはいて見せた。
黒山の人はこんどはギャーギャーと腹を抱えて笑いころげた。
しかし私は真剣そのものだった。
汗をとばしながら必死に説明を続けていくと、どよめきはやみ、
みな催眠術にかかったように静まり返っていった。
「単独登山では背負う重量に制限があります。
装備がよくても食糧を持たねば不可能です。
単独登山は行動性、融通性に富んでいなければなりません」
苦肉の策からの実演で司令官は納得し・・・(後略)
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私にとって彼の真骨頂は、
身体一つで異文化に飛び込んで行くところです。
次作「極北に駆ける」でも、エスキモー集落に入る時、
子供たちの前で、ラジオ体操をやる印象的なシーンがあります。
私の乏しい海外経験にも通じるのですが、
言葉があまり通じない状況で困った時、
一番大切なのは「ヤケクソ」になること。
そして出来たら「笑い」を取ること。
テクニックに頼った笑いではなく、
自分を卑下し過ぎる笑いでもなく、
必死になっている人間が必死だからこそ出せる民族を超える笑い。
この本には、
そんな彼のヤケクソがぎっしりと詰め込まれていています。
あっ、「ヤケクソ」とは、「自暴自棄」のことではないですよ。
腹をくくって必死になる、と言うことです。
もう一つ、この本にたくさん詰まっているのは、感謝です。
仰々しくない、しみじみとした謝意が散りばめられています。
はっきり言って、登山家たちの本の多くは、読みにくいものばかり。
登山家の間では古典的名著とされているものでも、
私には鼻に付く傲慢本としか思えなかったりします。
植村直己が、国民栄誉賞を貰うなど一般の人気が高かった理由は、
ここにあるのだろうなと思うのです。
※植村直己に関して、もう少し書きたいことがあるのですが、
長くなってしまったので、次回にさせて下さい。