帰ってくる話(司馬遼太郎著「草原の記」より)

数多い司馬遼太郎の作品の中で、
ほとんど一番と言っていいほど好きなのが、
「草原の記」の中の「帰ってくる話」という章です。

理由は、「馬」が出てくるから。単純ですねん。

馬には、ふつう帰巣本能があるとはされていないけど、
モンゴルの馬にはあるのかも知れない、という話。
少なくともモンゴル人たちはそれを信じ、
誇りとして、心からの愉快事として、話題にしているようなのです。


  ◎何とかいうおじさんが飼っているなにがしという馬は、
   売られても売られても戻ってくるという。
   はるか遠くに売っておじさんが安心していると、
   ある日、その馬はもとの仲間にまじって、
   そ知らぬ顔で草を食べていたというのである。
   このため、たれもその馬を買わなくなった。


  ◎ベトナム戦争だから、1960年から75年までのことで、
   モンゴル人民共和国としては
   ソ連が応援していたこの対米戦争に
   なんらかの形で援助せざるをえなかった。

   が、モンゴル人民共和国には金も物資もないため、
   多くの数の馬を送ったという。
   送られた馬たちはハノイでは荷運びにつかわれたらしいが、
   そのうちの一頭が役目を終えたあと、
   この高原に帰ってきたという。
   いや、一頭だけではなく、何頭も帰ってきた、という説もある。
   当時その事が新聞に載って、
   この高原の国の全土が沸き立ったそうである。


この二つのエピソードが好きで好きで堪らないんです。
特にベトナムからモンゴルまで、馬が自力で来たなんて、
想像するだけで愉快で、暖かい気持になれます。

犬が遠くから帰ってきたとの数多い話には、
泣きたくなる様な感動を覚えるのだけど、
馬の場合には、のどかな笑いがこみ上げてきます。



そうだ、お金に帰巣本能を持たせる事はできないかなあ。

「たくさんの友達を連れて帰って来るんだよ」
と、お金を馬券に変える訳ですが、なかなか帰ってきやがらない。

銀行やファンド連中の催眠術の方が強いのだろうか?