膝を打つ言葉求めて競馬する
◎川柳「膝を打つ 言葉求めて 競馬する」
浅田次郎著「カッシーノ2!」より。
(前略)バクチには「予感」が重要である。
長年の経験によると、
「何だか大勝ちしそうな予感」が必ずしも実現するとは限らぬが、
「何だか大負けしそうな予感」はたいがい当たるのである。
見事な文章である。素晴らしい。
「何のために競馬をやっているのか?」
何度でも自分に投げ掛ける必要のある問いである。
私の答えは実に単純で「楽しいから」だ。
もちろん、的中の喜びは無上のものであるが、
こういう同趣味を持つ人の言文に共感し、
「ナルホド! その通り!!」と膝を打つ喜びも大きい。
情けない事に、我が予想が的中する確率は低く、
安定的な楽しさの供給源になっていない。
後者の楽しさなら、本だけでなく、
ブログでも、競馬新聞でも、いろんな所で得られる。
求めさえすれば味わえる喜びなのである。
もちろん浅田次郎氏のような秀逸な言葉は数多くないが、
私はセコいから、同じ言葉を何度でも味わい直す。
本末転倒の気がしないでもないが、
私は、浅田次郎氏の文章や競馬新聞などを心底楽しむために
競馬をやっているのである。ホンマでっせ。
ギャンブラーはセコいぐらいが丁度よい。
その通りなのだ。
浅田次郎著「カッシーノ2!」より。
(前略)バクチには「予感」が重要である。
長年の経験によると、
「何だか大勝ちしそうな予感」が必ずしも実現するとは限らぬが、
「何だか大負けしそうな予感」はたいがい当たるのである。
見事な文章である。素晴らしい。
「何のために競馬をやっているのか?」
何度でも自分に投げ掛ける必要のある問いである。
私の答えは実に単純で「楽しいから」だ。
もちろん、的中の喜びは無上のものであるが、
こういう同趣味を持つ人の言文に共感し、
「ナルホド! その通り!!」と膝を打つ喜びも大きい。
情けない事に、我が予想が的中する確率は低く、
安定的な楽しさの供給源になっていない。
後者の楽しさなら、本だけでなく、
ブログでも、競馬新聞でも、いろんな所で得られる。
求めさえすれば味わえる喜びなのである。
もちろん浅田次郎氏のような秀逸な言葉は数多くないが、
私はセコいから、同じ言葉を何度でも味わい直す。
本末転倒の気がしないでもないが、
私は、浅田次郎氏の文章や競馬新聞などを心底楽しむために
競馬をやっているのである。ホンマでっせ。
ギャンブラーはセコいぐらいが丁度よい。
その通りなのだ。