墓参りとインド人と自転車の話

お彼岸である。
彼岸と言えば、お墓参りである。

ただ、私はなぜか墓参と縁遠い人生を歩んでいる。

なにせ家の墓にもまだ一度しかお参りをしたことがない。
九州だから遠いし、親戚は誰も残っていない場所だから、
というのが言い訳である。

母方の墓も、ちと不思議な行き違いがあって、
何故だか行く機会がなかった。

てな訳で、肝心の我がご先祖様のお墓について書くことはほとんどない。

そこで東南アジアを一人でぶらぶらしていた頃の思い出について、
今日は長く書いてみたいと思う。



1995年のことだ。

ある町に、私は一週間ほど滞在した。
インド系のおっちゃんが経営する小さい安宿で、
一泊500円以下だったと思う。
まだ新しくてガイドブックに載っていない宿だったから、
清潔で客も少なかったのが有難かった。

その町に長く居続けてしまった理由は、
アレルギーで体調を崩してしまったから。
まあ現地の何かの花粉だったのだろう。
海沿いのその町では症状がマシだった。

さて、一週間も同じ宿にいると、いろんな事がある。
経営者のおっちゃんはとても仲良くしてくれた。
ただ、唯一の従業員の若い兄ちゃんと険悪なムードで、
トラブルの愚痴を聞かされるのには閉口したし、
近所の華人系マフィアを紹介してやろうと言って来たのにも困った。
自分ばかり喋り、私の言うことを聞いてくれない人だった。

国際会議で、
インド人を黙らせるのと、日本人を喋らせるのは、
同じくらい難しい、というジョークがある。

まさにその通りで、私のように典型的な気の弱い日本人は、
典型的インド人とはまともな双方向の会話は成立しないのである。

本題はここからです。

滞在の最後の頃、そのおっちゃんは私の部屋に入ってきて、
町はずれの農園地帯にある日本人墓地にお参りに行けと言った。
多分、戦前にゴム農園に移民してきた人たちの墓なのだろう。
「からゆきさん」のも含まれているかもしれない。
でも、私としてはあまり乗り気ではなかった。
鼻水がやっと治まった頃だったし。
が、彼は素晴らしいアイディアだと一人で目を輝かせている。
私がぐずぐずしていると、
自分のオンボロ自転車を引っ張り出してきて玄関に停め、
これを貸してやるから行け、と言った。

こうして私は熱帯の炎天下に宿を追い出されたのである。

すさまじい自転車だった。
タイヤの空気がまともに入ってない。
ブレーキはゆるゆる。

何より怖かったのは、バックギアのある自転車だったのである。
普通の自転車は、ペダルを前に漕いだら進むが、
後ろに漕いでも空回りするだけだ。
ところがそのインド人自転車は、後ろに漕いだら後ろに進むのだ。
日本でも、競技用のだとそんなのがあるし、
一輪車みたいなものだと思っていただきたい。

なんと言うことだろう。
慣れれば何とかなるのだろうが、
下り坂で何気なくペダルを後ろに回してしまうと、
ロックがかかったような状態になってしまう。
あまりにも危ないので、
私は漕ぐ時だけペダルに足を置き、
それ以外は足を浮かせて進むことにした。

日本人墓地の場所は遠くて、分かりにくかった。
走りにくい自転車でのアップダウンは疲れた。
何より直射日光が熱かった。

そんな中、墓地への道半ばでオンボロ自転車はパンクした。

なんと言うことだ!
修理のために、町に戻るしかない。
最初に、私の人生は墓参りと縁が薄いと書いたが、
異国の地でもそれが発揮されてしまったのである。

灼熱地獄の下、パンク自転車を押して歩くのは辛い。
しかもこの自転車は、タイヤが前進すればペダルも前に回る。
近づきすぎると、ペダルが足に当たって痛い。
人に尋ね尋ねして3キロくらいだったろうか、
バイクの修理屋さんに辿り着いた時はぐったりだった。

「人心地がつく」という言葉がある。
修理屋に自転車を預け、
近くの喫茶店でアイスミルクティーを飲んだ。
宿のインド人のおっちゃんに、どう文句を言おうかと考えつつ、
冷たいお茶をすする。
まさしく人心地がついたひと時だった。

でもまあ向こうは善意である。
タダで自転車を貸してくれたのだから、
この修理代は私が持つしかないなと思いつつ、喉を湿らせた。

約束の時間。
修理屋に引き返し、値段を尋ねる。

高い。

パンク修理は日本だと800円くらいか。
当地の物価水準だと、この半分以下のはず。
なのに、千円以上を請求されたのだ。

不審げな私に、修理屋が言った。
「チューブを交換したよ。ボロボロだったから」

なんと言うことだ!!
なぜ新品のチューブ代まで私が持たねばならんのだ。
と言って、気の弱い私が善意のおっちゃんに請求するのも無理だ。
修理屋に釘を刺しておかなかったのが悪いのだし。

ものすごい虚しい気分で宿に引き返した。
修理の事は何も言わず、
お参りもしたことにしておっちゃんに話したら、喜んでくれた。
彼の笑みだけが救いとは、ひどい一日であった。



人と人、人と物(存在)の関係には、
相性や縁という不思議なものがある。

相性の良い人、悪い物、縁がある、縁がない・・・

私もたくさんの自転車に乗ってきたが、
あれほど相性の悪いのは無かった。
でも今振り返って懐かしいと思えるのは、
やはり縁があった証拠なのであろう。

今後、墓地やご先祖様との縁が戻ることを祈りつつ、
この長い思い出話を終わらせていただきます。