司馬さんがどっかで書いてはったよな

◎川柳「司馬さんが どっかで書いて はったよな」



司馬遼太郎氏の本は好きでよく読んだが、
内容が膨大すぎて、
どこに何が書かれてあったのか、思い出すのは大変だ。

「えーっと、この件について、どっかで書いてはったよな。
どこやたっけ・・・?」

そんなのばっかり。


昨日、大沢親分の訃報を目にした。
番組を見たことはほとんど無いので詳しくは知らないが、
「喝」を張本氏と共に頻繁に使い、彼の代名詞でもあった、とか。

その「喝」という言葉について、
司馬さんがどっかで書いてはったんやけど・・

確か、これは仏教語ではなく、
中国のどこかのそれほど意味のない方言であったのが、
日本の禅では哲学用語のようになってしまった、
との内容だったような気がする。
間違っている可能性も高いので、信じないでくださいね。

私は南無阿弥陀仏の浄土宗的な考えを持つ人間なので、
禅宗への理解は薄く、
正直なところ小馬鹿にしたいような衝動をも持っている。

「何が『喝』やねん。あほくさ。
棒を持って『喝』って言ってりゃ、高僧気分になれんねやろ」

と、さしたる根拠もなしに思っている(申し訳ない)。

だから、亡くなられた大沢氏のように、
「喝」をギャグとまでは言わないけど、
見世物的に軽く乱発してくれる人を見ると嬉しくなるのだ。

禅寺で、座禅の一日体験コースに挑戦される方が、
「今の『喝』は、大沢親分の真似ですか?」
などと言う日が来るまで、
長生きされて「喝」を使い続けて欲しかったです。

めっちゃ不純な動機で申し訳ないけれど。