忘年会時期の思い出ばなし


音楽を聴いて、泣いてしまった経験が何度かある。

どれもそれぞれ印象的で記憶に残っているのだが、
やはり、一番最初に思わず泣いてしまった経験は、
今でも心の片隅に強く染み付いていて離れない。
後への影響も大きかったように思うし。

ちょうど二十年前で、私もちょうど二十歳の時のこと。

学生だった私は、今の季節、宴会場でバイトしてました。
その店の売りは大宴会部屋があることで、
80畳だったか、いや100畳以上あったのか、
とにかく100人を超える宴会も楽に可能だったんです。
だから、中小企業の社員全員の忘年会などをやってました。

私の役目はと言うと、配膳や片づけはもちろんですが、
宴会場と厨房等との連絡役を仰せ付かる事が多かったです。
ガラス障子から宴会場の中を見渡せる廊下の一角に、
幹事さんの動きと、宴会の様子を確かめながら立っていました。
ビールの追加注文を受けたり、
カラオケの懐かしの8トラックを持ち込んだりして。

さて、その日も、いつもと同じでした。
どこかの企業の貸し切り状態のド宴会。
時はまさにバブルの真っ最中で、
酒もビールも料理も追加追加が相次ぎ、
それが一段落すると大カラオケ大会になってました。

カラオケ大会が始まってしまうと、私の役目は減ります。
ぼんやりと宴会を外から眺めているばかり。
粗相する人がいてビールを畳にこぼしたら、
雑巾を持って飛び込んで行くくらい。

宴もたけなわ、
かの「おどるポンポコリン」が大ヒットしていた頃で、
偉いさんも若いのも、肩を組んで合唱して踊ってます。
私はもちろん素面ですから、冷静な目で見てアホらしかったこと。

と、その盛り上がりの中で、
「そろそろ○○さんも、何かやれ」との声が飛びました。

実は、私も気になっていたのです。
大盛り上がりの中で、一人ぽつんと取り残されている方がおりました。
どこの国の人か分かりませんが、若い外人さん。
きっと研修で来られていたのでしょう。
日本語は出来ず、日本の蛮習に戸惑っておられる感じでした。

でも事前に、何か芸を見せろと言われていたのでしょうね。
すっくと立ち上がって、宴会場の舞台に上がり、
おもむろに縦笛を取り出して、吹いてみせたのがこの曲でした。



南米のフォルクローレの名曲「コンドルは飛んでいく」。

「おどるポンポコリン」の大合唱などがあった後にこの曲ですから、
会場がどんな雰囲気になったのか、御想像はつくと思います。
「シーン・・・・」
まさに水を打ったかのよう。

そんな中、私は何故だか会場の外の廊下で泣いてしまったのです。
感動しちゃったんです、今思えば不思議なんだけど。
彼の演奏が上手だったとの記憶はないけれど、
状況が私の中の眠っていた何かを目覚めさせてしまったらしい。
魂の奥の方を揺さぶられる感じで、ぼろぼろと涙が止まらない。

翌日、矢も楯もたまらなくなり、
当時は多かった輸入レコード屋フォルクローレのCDを買い、
また既に持っていたサイモンとガーファンクルのカセットを
改めて取り出して来て聞き込んだりして、
しばらくは世界の民族音楽マニアになってしまってました。

のち、二十代の中盤から後半は、
南米ではないですが、東南アジアを中心にウロチョロしていたのですが、
その原点はこの曲にあったのかも知れない。

また、今でもこの曲を聴くと、旅への欲望がうずきます。
アンデスの山の町に、これらの曲を聴きに行ける日は来るかな、と。