東北にユーモア戻る日を祈る

◎川柳「東北に ユーモア戻る 日を祈る」



長い文章を書いてみる。

阪神大震災の時、たくさんのマスコミが被災地に来て、
様々な報道をして頂いた。

関西以外の方々は全く意識され無かったと思うが、
報道陣には東京の方々と、在阪の方々の2種類あった。

で、東京のテレビ局などの取材・報道には、
どうしても不満が生じる事がありました。
関西人には、東京に対する根深い怨念があるから、
彼らに対して簡単には心を開かないのである。

意外に思われるかもしれないが、土地勘もポイントとなった。
「長田の家は焼けてもうたし、新開地の店も潰れたし・・」
などと話をしても、土地勘のない取材者だとピンと来ない。
通じないと分かると、被災者は心のシャッターを閉じる。

また、どうしても全国放送になると、
最初から決まっていたストーリーを押しつける傾向がある。
被災者も、本音を言うより演技した方が楽とばかりに、
同調して見せてしまったりもする。

今回の東日本大震災にしても、
「復興への一歩が始まった」の様な調子が主流になって来ている。
被災者の方々の何割くらいが納得されるだろう?

以上、東京マスコミの批判めいた論調になってしまったが、
決してそうではないつもりだ。
全国放送というのは、そんなものなのである。
広い日本に発信するには、適度の冷静さと割り切りが必要なのだから。

一方、在阪マスコミは、概ね好評でした。
普段から身近なアナウンサーやリポーターが取材に来ると、
この人なら分かってくれるはずだと積極的に声が出てくる。
土地に愛情を持ってくれている人だと分かれば、
とめどもなく言葉が溢れてくる。

久米宏筑紫哲也が来てくれるより、
道上洋三(関西のラジオ好き以外は知らないと思うけど)の方が、
被災者の本音をきめ細やかに掬い取る事が出来たのです。
震災の前からずっとずっと地元密着で毎日人々の声を聞き続け、
発信し続けた人達でなければ出来ない事があるんです。

また在阪の取材陣は土地勘があるから、
「あそこはあまりカメラが入ってない」とか、
「ここがこの状況なら、あっちはもっとヒドイかも」とか、
機敏な対応を取ることも出来ました。

そうやって、全国マスコミと地元密着の物が、
バランスをとって報道されたのが16年前でした。


さて、今回の東日本大震災
関西にいると全く分からないのだが、
東北の地元マスコミはちゃんと機能して動けているのだろうか?

16年前の在阪マスコミは体力があったから大規模に動けた。
しかし、特にリーマンショック以降、地方放送局は疲弊している。
大阪の大ラジオ局ですら、深夜放送は東京発だったりするのだ。
実に情けない。

失礼ながら、東北の局に元気があったとは思えない。
東京制作番組を、ただ流すばかりだったのではなかろうか。
NHKのローカル放送以外に、
普段から地元を動き回り、民の声を丹念に聞いてきた人達が、
今回の甚大な被害に対応できるだけいるのかどうか、とても心配です。
コミュニティFMとか、ちゃんと機能してるかな?
もちろん彼ら自身も被災者だから、大変なのは理解できるけど。

でも、被災者の方々が、被災の全体像や詳細を知りたいと思う時、
東京経由の情報しかないとしたら、
仲間意識を持てる人による愛情のこもった発信が足りないとしたら、
かなりのストレスになってしまいます。

東京への一極集中が進む日本ですけど、
それぞれの地域が独自の情報収集力と発信力を普段から備えていないと、
いざという時に大きな問題になるんですね。
今後の日本の課題です、きっと。


ところで、今回、
神戸での体験がある程度役立っているのに気付いてます?
例えば、ゴミにしかならない救援物資が殺到し、
第二の震災と呼ばれた状況は起ってませんよね(違っていたらゴメン)。
あの時、奥尻島の方々は、「お金が一番」と声を上げ、
お金だけを送ってくれました。忘れられません。
児童のカウンセリング等についても、きっとこれから役に立つはずです。
(私がそう信じたいだけかも知れませんが)

阪神大震災の際は、震災後も長く、
マスコミや行政やNPOさん等が被災者の声を吸い上げて、
この体験を次に生かさねばとの活動がなされて来ました。
完璧ではなかったにしても、いろんな努力がなされました。

日本は地震津波の国。
東南海・南海地震など、いつかまたきっと震災がある。
今回の東日本大震災の経験も、絶対に次に役立てなければ。

だから、もし東北の被災者たちが、
「自分たちが我慢し、悲しみを飲みこんだら、それで済む」
と思っているとしたら、それは違う。
次の被災者を救う重要なカギを握っているのが、今の被災者なのだから。

「ああすれば良かった、こうすれば良かった、
これをして欲しい、あれに困っている、今こう感じている・・・」

などの思いは、辛いだろうけど、やはり発信してもらいたい。
そしてそれらを受け止めて、整理して、記録する仕組みが必要だ。
そこから次の被災者を減らしたり、負担を軽くする知恵が生まれる。

被災者自身が、思いを何らかの形で表現をするのは、
ワガママでも何でもなく、未来の日本のためなのです。
どうせ分かってもらえないから黙ってる、となるのは最悪だ。

マスコミによる取材が不十分なのだとしたら、
紙と鉛筆からでも始めて欲しい。
避難所で、出来るだけ多くの方が日記を付けておられる事を、
切に願っています。

カメラ好きなら、写真をどんどん撮って欲しいし、
ビデオカメラがあって電源があるなら、
写して残したり、Youtubeでの発信も出来る時代だ。
時期が来たら、ドキュメンタリー映画なんかも作って欲しい。

そういう意味では、ネットの普及によって、
16年前よりも個人の発信は容易になって来てます。
デマなどの問題はあるけど、
上手に活用されていい方向に進んで欲しいです。


そうそう、これは脱線だけれど、
避難所で交わされているであろう無駄話なんかも、
記録しておくと面白いかも知れぬ。
東北の人々の無駄話はバカにならない。
そこから遠野物語という歴史的傑作を生んだ実績もある。

東北の人たちが持つ途方もない空想力と、
そこから生み出される巨大なユーモアは、
日本文学の一つの太い柱だったことは間違いない。
しかし、最近はちょっとそれが弱まっていたようにも思う。
もしかしたら、今回の震災は、
そこに再びエネルギーを注入したことになりはしないだろうか。