神戸・海外移住と文化の交流センター(兵庫散歩・寄り道編)

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というブログをされているクリチバの師匠から、
以前、神戸移住斡旋所の建物についてコメントを頂きました。
移民される方が、出港前の数日間を過ごした施設です。

調べると、今ではミュージアムとして公開されているらしい。

このウェブサイトの説明で、

建物全体が甲板をもつ船のようでもあり、
廊下や階段も船のそれを連想させるつくりとなっており、
すこしでも船内の雰囲気に慣れてもらうために設計されたと言われています。


と書かれているのに、痺れてしまいました。
建築家って、そんな心遣いもするのか、と。
1920年代の日本を、見直さなきゃ。


せっかくだから、実際に自分の目で見て、
兵庫散歩の寄り道編でございます。

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80年以上の歴史ある建物ですが、
「海外移住と文化の交流センター」として3年前に整備されたばかりで、
とってもキレイな外観となっていました。
中も、所々古さを感じさせる一方で、清潔かつ、良き雰囲気です。

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移民の子供達が、滑り台がわりにして遊んだという、階段の手すり。
これらが船の構造と近いのかどうか、私には分かりませぬ。
ずいぶん昔に鳥羽ブラジル丸に入った事はあるけど、もう憶えてない。

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かつてのポスター等。
ただ、展示品より、移民の方々の思い出ばなしが聴ける映像が、
ここのミュージアムの真価だと思いました。
全て再生して見たかったけど、時間的に断念。

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再現された、当時の部屋。
考えてみれば、ベッドは初めてという人もいたかも。

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実際に目にして、一番、胸に迫ってきたのは、
窓越しに見えた洗濯場です。
ここで日本で最後の洗濯をした。
当時の船中生活はよく知りませんが、
水の事を考えると、自由に洗濯は出来たのでしょうか?

祖国を離れる直前に、天気を見ながら手洗いに励んだ先人たちの思いが、
コンクリートには沁み込んでいるのでしょうか。
梅雨の時期なんて、大変だったろうに。


最後に、繰り返し流れる映像で、
日本の最後の思い出は、船から見えた六甲山、との述懐は胸にしみました。

私がひょこひょこと登って遊んでいる山ですが、
そんな記憶に残しておられる方が遠方に大勢いらっしゃるなんて、
考えてもみませんでした。