負け犬を見るにも金がかかりそう

◎「負け犬を 見るにも金が かかりそう」


「負け犬」という言葉が気になっている。
私の中では脈絡はあるんですけど、
記事的には唐突で申し訳ない。

よく目にする表現だが、
実際の負け犬を長らく見てないってのが本記事の主旨である。


長らくどころか、人生の中で見たことあったっけ?
犬のケンカすら、ずいぶん見てないから。
遠吠えも耳にしていない。

子供の頃、とある新興住宅地に住んでいた。
その住宅地の外れに、掘っ建て小屋があって、
世をすねていたのか、周囲との関係は絶って、
たくさんの犬と暮らす人がいた。

そこから犬がよく逃げ出し、野良犬化していたのだ。
それで、私は大人になるまで犬嫌いにされてしまった。
だから犬のケンカは何度か見た記憶がある。

いわゆる「負け犬根性」の負け犬は、そこで見たっけなぁ???


比喩表現としてとっても便利な「負け犬」。
これを実感ある言葉として使いこなすために、
ホンモノの負け犬を見て、観察してみたい。
でも、どこに行ったらいいのだろう?


もちろん、二頭以上の多頭飼いをしていれば、
家の中でケンカをして負けてばかりの犬もいるはずだ。
しかし、負けたってエサは保証されているんだし、
去勢・避妊などでコントロールされ繁殖も無関係だし、
「負け犬」という言葉が本来持っているはずの哀愁に、
そこで出会えるとは思えない。

日本国内では、もう無理だったりして。
どこか人口の少ない島では、普通にある光景かも知れないけど。

かつてタイのバンコクにしばらく滞在したことがある。
最新事情は知らないが、あそこの町中は、
野良や、半飼い犬が繋がれずウヨウヨしていた。
しかし、暑いからか、ケンカしているのを見た記憶はない。

落語には、「鴻池の犬」「どうらんの幸助」など、
犬のケンカがよく出てくる。
「元犬」にもそんな雰囲気があったっけ。
昔の日本の犬は元気だったんだなあ。

本当の負け犬を見たかったら、
タイムマシンに乗れ、という時代なのかな。