千年の古寺も三日の雨と生き


◎「千年の 古寺も三日の 雨と生き」


昨夜も雨でした。
古寺に関する本をちょっとだけ読みました。


唐突だが、私は、他人を「羨ましい」と思う心が好きではない。
自分は自分である。
親に貰った身体や心や育った環境などに不足を言っちゃあ、
自分失格であろう。
親を怨むべき生い立ちなら、ともかく。


・・・などと、強がりを言っている私だが、
思わず「羨ましい~!」と言ってしまいそうになる事もある。

今手元にある古寺の本は、まず法隆寺の章で始まる。
ワタシ、法隆寺に行った時、周囲をちょろっと散歩した。
すると法隆寺幼稚園ってのがあった。
ここで、千三百年前からの五重塔を見ながら遊ぶ子供たちがいる。

同じ奈良の東大寺のすぐ横にも、幼稚園がある。
大仏さんのそばで幼き日を過ごす。

京都でも、古いお寺のすぐ横に幼稚園があったりします。
経営がどうなっているかは知らないけれど。

日本に限らず、古い大聖堂横で育った子、なんてのも、
海外にはいらっしゃるだろう。

「何だか、羨ましぃ!」


美的感覚が違うだろうな、と思うのである。

例えば法隆寺を、私などはパンフレットを読みつつ廻る。
「この建物は国宝だから、素晴らしいものに違いない」
と、まず知識から物を見てしまう。
素直な心での感動なんて、ありゃしない。

幼き日、知識なんか無かった頃に、
接する事が出来てたらどうだったろう?

もちろん、子供心には千年の古寺なんて無価値だろうと思う。
でも傍にいたという記憶が地下水のようになって、
年齢を重ねてから再び湧きだして、
意味をもつのではないか、と。

ま、これは勝手な推測でしかありませぬ。


梅雨の夜の雨音を聞きながら、上記の様なことを思った次第。