思い出を詰めて地球が周ってる



◎「思い出を 詰めて地球が 周ってる」

◎「突き指し サルに戻れぬ 事を知り」

◎「臭くない だけど蓋すりゃ 人は見る」

◎「気遣いを 察する力が 弱い暮」

◎「反応が 重なり合って この世あり」

◎「脅迫状 だけは無視から 逃れられ」




先週も記事にしたが、
"Say Something"という曲に私はKOされている。

歌詞全体が全て素晴らしいと言うのではない。
「何か言ってよ」という鍵になるフレーズの持つ力に、
圧倒されているのだ。

反応がない相手に対して「何か言ってよ」と、
語りかけたり、懇願したり、叫んだりする。

反応が無いというのは、
意見や感情の齟齬からくる無視であったり、
死であったり、条件はさまざまだ。

「反応をする、反応を受ける」
人間が社会の中で存在するのはどういう事かと言うと、
結局これに尽きるのかもしれない。

もう一週間くらい、同じ曲を繰り返し聴いている。
競馬場に行っても頭の中でリフレインし、
パドックを周る馬に対し「何か言ってよ」と心の中で声をかけた。
馬も何かを全身で言っているはずなのだが・・・
我が馬券はほぼ全敗だった。


何かを言って欲しかったら、
こっちも心や愛や思いやりを込めて言葉を発するしかない。
生きている限り。

身勝手で相手の事を思わぬ言葉を発しても、
求めている反応が返って来るはずはない。
相手も人間である限り。

Say Something...