死に金も派手に使えば後に活き



◎「死に金も 派手に使えば 後に活き」


 関西のラジオを聴いていると、
ちらほら大坂の陣400年が話題になっている。
ほんと、「ちらほら」程度ですけど。

滅ぼされた側がイベントをするって不思議な感覚だが、
実際に盛り上がっているのやら、
全国的な周知は行き届いているのやら、
様々な疑問が湧いてきます。


 先日、太子町の叡福寺に立ち寄ったと書いた。
聖徳太子ゆかりの寺として知られているが、
寺の歴史を見ると豊臣秀頼が伽藍を再興したとある。

「うーむ、ここもか・・・」


 歴史好きにとっては常識らしい。

江戸に幕府を開いた徳川にとって、
豊臣方がもつ大坂城と巨万の富が不安の種だった。
富を使わせ減らしてやろうと寄進を勧めたら、
下心をしらぬ淀君が大いに乗り気になって
数多くの寺社の建物が再建された、と言われている。

どこかに正確なリストがあればと思うのだが見つからぬ。
何とか思い付くのは、北野天満宮中山寺相国寺
勝尾寺住吉大社、東寺・・・

「秀頼 寄進」で検索すると、
「あそこもか!」と気付かされたり、
浅学の私など名も知らぬような社寺も多く出てきます。
とにかく、めっちゃめちゃお金を使ってます。

しかし、結末はご存知の通り。
神仏の加護なく豊臣家滅亡。


 さて、境内を歩きつつ、ワタシは考え込むのです。
これは「死に金」だったのか「活きた金」だったのか?

敵の策に嵌り金を減らし、滅ぼされたのだから、
悲しいくらい無駄な金だったと考えるのは当然。

でも、そこに金を使わず、
全額軍事費として守りを固めたとしても、
結局のところ運命は変わらなかったのでは?

だとしたら、文化的に使われ、
後世に残って現代をも魅了し、
観光収入の元ともなっているのだから、
これ程の「活きた金」は無いとも言える。

この時の寄進がなかったとしたらと、
単純に頭の中で引き算をすると、
ちょっと寂しい関西の姿が浮かびますし。

惜しむらくは、恩恵を受けた社寺が、
あまり表だって謝意を表してない点だが、
これぞ陰徳という気もします。


 没後400年。
彼らが寄進したものが文化財として残っている所を、
バスで巡る旅とかのツアーを開催したら、
お客さんが集まりませんかねえ?

変なイベントをするより、
天国だか地獄だかで喜ばれるのではって思うんだけど。