縄文人の植物利用






先週、イチイガシシイについて記事にした。
本書に少ししか書いていないイチイガシと、
ほとんど全く書いていないシイについて記事にして、
本書の紹介にするのでは片手落ちでしょう。

今回からは、書いてある事について、です。




詳しく書いてある主たる植物は、
①クリ、②マメ(大豆、小豆)、③ウルシ、④イネの四つ。

特に、③ウルシについては、幾つもの章をまたぎ、
かなり情報量が多い。

そして、以下のような文章がありました。
長い引用になってしまうが、
目からウロコというか、感銘を受けたので、
そのまま抜き書きします。


五千年前であろうと一万年前であろうと、
その技術は今と変わらないあるいは今以上であるのは、
当たり前なのです。

工業製品ではありませんから、
漆という性格を熟知し、
手工芸的な範囲で実現できることであれば、
金属器文化がないという不利はあるかもしれませんが、
その他はすべて、
今以上に良いものができていると
考えていただいてかまいません。


続く文章が、これまた素晴らしい。
歴史を学ぶ上で、絶対に忘れてはならぬ知見であります。


縄文人から今の人をみたら、
一万年を直線的に発展してきている
ということは決してないのです。

下手すると下降しているかもしれない。

それはこのような手を使った文化であれば
ある意味当然のことなのですが、
やはりどうしても今の人たちのほうが
偉いだろうという先入観があります。


良い読書は、私の下らぬ先入観を、
次々になぎ倒してくれます。
有り難い事です。


ところで、漆文化について、
後の時代とそん色ないレベルにあったのだとすると、
相当の分業がなされていたと考えるべきなのだろうか?
つまり、漆の専門家がいたのではないか、ということ。

本書は、社会構造への言及はあまりないけれど、
想像の翼が広がります。

土器作りが得意な人、クリなどの料理が得意な人、
狩りが得意な人、気象観測が得意な人・・・

きっと得意な物が何も無い人もいただろう。
ケガや病気で足手まといになる人も。

そんないろんな人が集まって、
笑ったり、文句を言ったりして縄文社会があったのかと思うと、
親近感が湧いてきます。


・・・またまた、本書に書いていない事について、
想像をめぐらせてしまった。ちょっと反省。

まだ続きます。