春近し心にもっと野が欲しい
◎「春近し 心にもっと 野が欲しい」
20代の頃、私は東南アジアに数年間住んでいた。
滞在が一年を過ぎた頃、
身体にちょっとした変調があった。
口内炎がたくさんできて治らず、
妙な皮膚炎も出来る。
ちょうど風邪気味にもなったので、
診療所に行って診てもらうと、
普通の薬と共に、ビタミンCの錠剤を渡された。
このビタミンCの錠剤を摂取した時の感動は忘れられない。
いろんな問題が、数日内に治まってしまったのだ。
気を付けて野菜や果物を摂取していたつもりだったが、
我が身体は慢性的なビタミン不足になっていたようなのだ。
江戸時代、紀伊国屋文左衛門は、
船でミカンを江戸に持って行き、
大儲けをしたとの伝説がある。
史実かどうか不明とのことだが、
当時の江戸の人達も、若き日の私同様に、
ビタミンC不足で、それを認識していたから、
まさに喉から手が出るほどミカンが欲しかったに違いない。
身体がビタミンCを欲している時の、
ミカンの威力は凄まじいものだったろう。
なかなか現代日本人には分からぬ点だが、
私にはちょっとだけ
当時の江戸人と気持ちを共有しているつもりなのです。
◎「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」
日本原産の柑橘類はタチバナだけらしいが、
平安時代には、ユズやダイダイは、もうあったらしい。
それでもやはり、冬になれば、
当時の人々はビタミン不足を感じていたのではないか。
特に女性の肌は、敏感に影響を受けていただろう。
ビタミンだけでなく、
若菜に含まれる
鉄分などのミネラルは貧血などに効いただろうし、
便秘の解消にも役立ったはずだ。
そう思って、この歌を改めて鑑賞すると、
相手の身体・健康を思いやる心がよく分かる。
現代とは全く違う、
簡単に果ててしまう二つの命が、
この歌で繋がっているように私には思えるのです。
ところで、自然系の読書をし、
ぶらぶらと身近な自然を観察もしていると、
「タイムマシンがあったら!」と思う事がよくある。
この光孝天皇の歌は、ちょうど今頃の季節でしょう。
どんな「野」だったのか、行って見てみたい!
宝塚の住宅地を起点に
自然観察の真似事をしているのだが、
「野」という場が身近には少なすぎるのだ。
植物図鑑を眺め、平安の野を思い切り想像はするのだが、
答え合わせの出来ぬもどかしさが、やりきれないのです。