白幽子(はくゆうし)巌居跡
何度も紹介している京都東山の瓜生山には、
白幽子が住んだ跡というのがあります。
白幽子が住んだ跡というのがあります。
ここは白川の隠士、松風窟白幽子が巌居した跡である。
白幽子の名は慈俊。
石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山につかえ、
丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲した。
またここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂
「夜船閑話」発祥の地でもある。
白幽子の名は慈俊。
石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山につかえ、
丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲した。
またここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂
「夜船閑話」発祥の地でもある。
白隠禅師なら、今でも人気のあるボーさん。
はくいん【白隠】
江戸中期の臨済宗の僧。
(中略)
正受老人の法を嗣ぎ、享保二年故郷の松隠寺に住したが、
翌年妙心寺へ入り、のち名利を嫌って諸国を遊歴し、仏教を教えた。
臨済宗復興の祖といわれる。
著に「槐安国語」七巻、「夜船閑話」「遠羅天釜(おらてがま)」など。
(一六八五~一七六八)
国語大辞典(新装版)小学館 1988
(中略)
正受老人の法を嗣ぎ、享保二年故郷の松隠寺に住したが、
翌年妙心寺へ入り、のち名利を嫌って諸国を遊歴し、仏教を教えた。
臨済宗復興の祖といわれる。
著に「槐安国語」七巻、「夜船閑話」「遠羅天釜(おらてがま)」など。
(一六八五~一七六八)
国語大辞典(新装版)小学館 1988
史跡をすべて観光に結びつける訳ではないですが、
ここをわざわざ訪れる人はいないようです。
日本国内に白幽子ファンなんて、失礼ながら皆無でしょうし、
白隠ファンでも、ここには来ないでしょう。
まあ隠子の棲家だから仕方ないか。
ここをわざわざ訪れる人はいないようです。
日本国内に白幽子ファンなんて、失礼ながら皆無でしょうし、
白隠ファンでも、ここには来ないでしょう。
まあ隠子の棲家だから仕方ないか。
ただ、私の勘違いかもしれないけど、
最近、井戸の跡が整備されたよう。
最近、井戸の跡が整備されたよう。
こんな超マイナーな史跡でも、
面倒を見ている人がいる事には感銘を覚えます。
面倒を見ている人がいる事には感銘を覚えます。