甲山百景30・悲しい記憶も<その①>

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さて、ここまで甲山を「かわいい」と表現し、
無邪気に紹介してきました。

その姿勢は今後も変えないつもりですが、
今回と次回は、
甲山周辺での悲しい記憶に触れることにします。



「甲山」とは、阪神間の小さな山の名ですが、
日本裁判史に残る「甲山事件」で記憶されている方も多いはず。

知的障害児の施設・甲山学園で二児が死亡したのは1974年。
異例の経過で裁判は長期化し、
被告全員の無罪が確定したのは、記憶に新しい1999年。
詳しくは、http://www.jca.apc.org/kabutoq/

閉園になった事件現場の具体的位置を私は知らないし、
突き止めるつもりもありません。
まあ、この写真の方向らしいです。

結局、真相は闇の中で、
いずれも12歳だった被害者の救われぬ魂が、
まださまよっているような気もします。

分からぬことだらけの本事件について、
ここで披露できる私見はございません。

ただ、近く裁判員制度が始まります。

強引でずさんな捜査が生んだ冤罪の見本として、
検察のプライドとは何かを考えさせる例としても、
繰り返し思い返す必要があると強調しておきます。

最後に蛇足かもしれないですが、
数年前の京都で、本事件に関係ある方が殺される事件がありました。
甲山事件の持つゾンビ性が現れ出たようで、
背筋がぞっとしたのが、今でも忘れられません。



※今月四日に、本事件の弁護団長もされた、
日弁連会長の北山六郎氏が死去されました。