「くいだおれ」って何だったの?(開高健「日本人の遊び場」)

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本日をもって、「くいだおれ」が閉店。

正直、あの店やあの人形が、
これほど有名であった理由を分かっている人は少ないだろう。

私自身、子供の頃から、
何だか分からないけど有名な人形のある店、としか思ってなかった。
前を通って人形を眺めるだけで、中に入ろうと思った事もなかった。

そんな「くいだおれ」について、
ずばりと本質を明示してくれる文章を書いていたのが開高健
昭和38年に週刊誌に連載されたものです。
本書の第二章がくいだおれの話です。

私の力量では、この内容をかいつまんで説明するのは無理なので、
実際の文章を読んでもらうしかないのだが、
人形についての紹介の部分はそのまま転載しましょう。


  店さきに人形がたっている。

  紅白ダンダラの源平縞の服に三角帽をかぶって
  ロイド眼鏡をかけたピエロ人形である。

  これが電気仕掛けで手足をうごかし、眉をうごかす。
  それも思いきって泥臭く、野暮臭く、わざとぎこちなく、
  まるで明治時代が手足を生やしたみたいなぐあいに
  ノロノロとうごくのである。

  安っぽい“グッド・デザイン”時代に
  まっこうから安っぽく反撃にでたわけだ。

  東京のように気どらない。
  俗臭を俗臭としてさらけだしてはばからないのである。
  大衆はその気配をかぎつけて安心する。

  “安うて、旨うて、腹のふくれるもん”をさがしている大衆は
  ピエロ人形のぶらさげる太鼓の腹を見て、ニヤリと笑い、
  いよいよ気を楽にして店に入ってゆく。

  太鼓の右の腹には泥臭いかぎり金釘流で、
  「いらっしゃい コケコッコー」と書いてある。
  左の腹を見ると、これが一つの“大阪”や。
  おめず臆せず、「今夜まにあう金玉料理」ときた。


私はこの文章を読んで、
遅まきながらくいだおれ人形を理解した気分になりました。


さて、今回の閉店というニュースを聞いて、
久々に読み直してみました。

昭和38年(1963年)というと、
このお店が最も勢いがあった時期なのだと思う。
45年後の閉店の芽があるかなと考えながら読んだせいか、
初代亡き後につぶれたのは当然かなとの気もしました。

一人の人間の強烈な個性によって成立・繁盛した商売って、
長続きさせるのは難しいのでしょう。
ましてや代替わりするとね。

でも閉店が決まった後の一連の賑わいについては、
創始者の気質がそのまま出ているようにも思うし、
草葉の陰で悪くは思ってないんじゃないかな、とも感じました。