人間は失うものしか持てぬもの

イメージ 1

◎川柳「人間は 失うものしか 持てぬもの」





司馬遼太郎著「最後の将軍:徳川慶喜」を読んだ。

不思議な読後感を覚えている。

この小説から得られる教訓は、
「時流に逆らうのは天才であってもほぼ不可能である」
という点でしょうか。

竜馬がゆく」の坂本竜馬が偉いとは言っても、
彼は時流に乗った側の端っこに立って(命がけではあったが)、
そこで時の激流をちょこっと変えるハンドルを切っただけである。

燃えよ剣」の土方歳三は、
時流に逆らって最後まで逆らって見せた男だ。
それによって新撰組とか会津藩が強い恨みを買い、
結局はその時流をさらに加速させ強固にさせた感も強い。

では時流に乗っている人間は怖いものなしかと言うと、
西郷隆盛のようにその本流に乗りながら、
流れが自分から去ってしまった後も神輿に乗り続けたら、
やはり自滅するしかないのである。



では「時流」ってのは何なのだろう?

我田引水でまた競馬の話にしてしまうのだが、
博打にも場の流れと言うのが必ずある。
逆らうのは不可能で、逆らい続けると自滅必至であり、
個人に出来る事はせいぜいその流れの方向をちょこっと変える程度か。

流れに乗って儲けまくっている人でも、
その流れが去ってしまった後に、
過去の成功体験で夢よもう一度とばかりに勝負をかけて、
誰よりも損をしてしまう場合も多い。

私は、この「流れ」ってのにずっと興味があるのです。

それが何であるかを解明することは不可能でも、
それとどう付き合えばよいのかとの点は絶対に知りたい。

そのために競馬もするし、本も読む。
まだまだ先は長い。



ところで、この本から得られる結論はもう一つある。
「生き続けることが大切」ということだ。

流れってのは、どんなに激しいものであっても、いつかは変わる。

命さえあれば、次の流れに乗ることも可能だし、
新しい価値観の中で自己の平穏を得ることもできる。

命のレベルまで絶望したり、自暴自棄になったりすることは、
何と無意味なことなのだろう。
そういう意味で、徳川慶喜はエライのである。