欲しいのはヒマラヤほどのあおいちゃん

◎川柳「欲しいのは ヒマラヤほどの あおいちゃん」



宮崎あおいちゃんが、


 ♪ヒマラヤほどの消しゴムひとつ・・・
 ♪ミサイルほどのペンを片手に・・・


と、歌うCMがある。
とっても可愛くて、魅力的でございます。

ただ、私、ちょっと引っかかるのである。
イチャモンですけどね。

「ヒマラヤほどの消しゴム」とは、
発想の飛躍があって、凄い表現だよなと感心させられるのだが、
「ミサイルほどのペン」ってのは、どうなんだろう?

「ミサイル」が不謹慎だと言っている訳ではない。
(不謹慎っぽい線を意図的に狙っているのだとは思うが)

ヒマラヤほどの消しゴムと比較すると、
実際の大きさも発想も小さくなっていると思うんです。
「ミサイル」→「ペン」って、月並みすぎると思いません?
「ヒマラヤ」→「消しゴム」が意表をついて、素晴らし過ぎるだけに。

160キロの剛速球を見せられた直後に、
腕の振れていない130キロの置きに来たボールを見るよう。



では、「○○ほどのペン」の○○には、何を入れたらいいのだろう?

私には、「消しゴム」→「ヒマラヤ」は、大きさも形も超越しているのに、
ペンの場合は、似たような形の物を選んだのが不思議なんですよね。

こんなのに正解は無いのだけど、
私なら、


 ♪メキシコほどのペンを片手に~


とするかなあ。
何か陽気な文学でも書き始めちゃいそうに思って頂けません?

もしよろしければ、皆さまも何か考えてみて下さいませ。