神戸市と歴史と(これも一応、兵庫散歩の一部)


ずっと不思議に思っていた。

今の神戸市域は、いろんな歴史の舞台となってきた。
兵庫津は日本史を代表する港であるし、
平家の福原京もあったし、一の谷の合戦の場でもある。
しかし、「神戸」=「歴史」のイメージは驚くほど薄い。

実物が手元にないので申し訳ないが、
数年前にとある本を読んで「へぇぇ!」と思った事がある。

何と第二次世界大戦以前は、今とは違い、
「神戸」=「歴史」の認識はあり、
それを目当てに来られる方も多かったらしい。

さてその神戸の歴史の目玉とは?

イメージ 1

楠木正成が死んだ場所。
そう太平記湊川の戦いは神戸市なのであります。

戦前の歴史観では大英雄だった大楠公
当時の教科書であったり、講談であったり、
いろんな場面で尊敬されたり、親しみを持たれたり、
誰もがその生涯を知っている方でありました。
熱狂的な信奉者も多かった。

だから、「神戸」=「楠木正成終焉の地」を前面に出し、
一辺倒で押していたと言ってもよいらしい。
それで、湊川神社などには多くの人が集まった。

ところが戦後、はしごを外されます。
楠木正成、私もぼんやりとしか知らない。
太平記吉川英治のを読んだ記憶はあるけどなあ、という程度。

そうして歴史都市として押して行く軸が抜けた結果、
異人館・旧居留地のモダンな町」神戸が歩み出す。
ついには、神戸には歴史が無い、とすら思われるようになって行く。
結果として、京都・奈良、大阪などの近畿の他都市とは、
違った町の魅力を発信出来たのも確かですが。

こんな経緯を知ると改めて、歴史って不思議だなって思うのです。