清盛塚(兵庫散歩)

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歴史の町・兵庫を考えると、
どうもボタンの掛け違いのような事が多くて不思議だ。

この清盛塚にしても、そうである。

以前は、清盛の墓だと言い伝えられてきたらしいが、
大正時代に場所を移した際に、墓ではないと判明した。
そんなちょっとガッカリ石塔なのであります。

では一体何なのか?
諸説あってよく分からぬらしい。

一応、弘安九年(1286年)二月と台石に刻まれている。
これを信じるのなら、もう700年以上の歴史がある。

何度も書いているが、
兵庫は歴史的に非常に重要な港であったにもかかわらず、
意外なほど歴史の香りのしない町になっている。

そんな中、この石塔は貴重な存在ではないか。

私は司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んで、
兵庫を起点として活躍した江戸期の高田屋嘉兵衛が好きになった。

もし彼が今の時代に蘇り、兵庫の町を散策したら、
全く当時の面影がないのに驚くだろうと思う。
ただ、この清盛塚くらいではないか?
「おお、これは私の時代にもあったよ」と懐かしんでくれるのは。


京都の町を歩いていて、巨樹古木に出会うと、
胸に込み上げてくる物がある。
「あなたはここで、一体どんな光景を見て来られたのですか?」
そんな架空の会話をするのが、歴史散歩の醍醐味である。

兵庫の町では、この石塔に尋ねるしかない。

遣明船はどんな船だったのか、
応仁の乱でどんな光景が広がったのか、
千石船で賑わう町の活気はどんな様子だったのか。

そう、この清盛塚は、会いに行く価値のある存在なのです。
清盛と関係があるのかどうかは別にして。
少なくとも私にとっては。