菱沼一憲「源義経の合戦と戦略:その伝説と実像」

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ちょっと前に、こんな記事を入れました。

経営困難な神戸電鉄粟生線は、
一の谷の合戦に向かった義経の行軍ルートとだぶる、との内容。
「神戸の歴史」という1975年の本が元ネタでした。

「1975年の本なので、説が変わっている可能性がある」と、
言い逃れめいた文章を入れておいたように、
ちょっと説の古さが気になっておりました。

そこで、2005年出版の本書。

さて、これを手にとった理由はルートの問題なのですが、
全体の中身がとっても興味深く、一気に読んでしまいました。
義経の実像そのものも面白かったと同時に、
その実像に迫っていく方法自体に感心させられました。

私など彼は単なるケンカ屋で奇襲好みだと思ってましたが、
どうしてどうして。
屋島から壇ノ浦の戦いにかけて、
東国武士を率いた範頼が停滞気味だったのに対し、
西国の勢力を引きこんでいった義経が目覚ましい戦果を収めた、
という辺りは、なるほど、でございました。

と、この様に、本書の面白さを大いに語りたいのですが、
実はこの記事は「兵庫散歩」の一部でござります。
やはりルート問題に戻りましょう。


先の記事に地図を入れたルートは、
「自説においては同調しがたい」のだそうです。

本書を読み終えた私も、この著者の意見に賛同でございます。

ここで展開される推測は、
鉄道で言うとJR加古川線から、JR山陽本線のルートとだぶります。
確かにそう考えるのが普通なんだろうなあ。。。

わざわざ山道を行軍して苦労したなんて、
物語としては面白いけれど、
実際の軍事行動としては何の意味もないですからね。
奇襲が目的だとしても、
あそこを通ったら合戦の約束の日に間に合わぬ可能性が高い。

あぁ、粟生線さん、ゴメンナサイ!

ただ、先の記事に入れた「義経腰かけ石」は、
本書の説であっても、まだ可能性は残りますぞ。