沢村貞子「私の浅草」

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自伝や自伝的小説・エッセーは数多い。
私も好きだから、そんなのを何冊も読んできた。

大作家と呼ばれる方の力作自伝は、
フランス料理に例えられるような気がする。
素材を長時間煮込み、様々な調味料を駆使し、魔法のようなソースを生み、
複雑で濃厚な料理を提示してくれる。
(フランス料理の理解が単純すぎるだろうが、味オンチなのでご勘弁を)

概して、男の自伝的書き物は、男の料理と似ている。
こだわりぬいたラーメンの様であったり、
粋を極めた江戸前寿司の様であったり、
はたまた料理の素人が週末だけ見せる豪快な手料理の様であったり。

対して、この沢村貞子の本は、主婦の料理そのものである。
身近な素材を使い、ちゃっちゃと手際よく料理された物は、
バランスよく、飽きさせず、それでいて独自の味付けを持っている。


描かれるのは、関東大震災前後の下町・浅草。
料理の素材として考えると、最高級のものだろう。

概して、男ってのは、最高級の素材を手に入れてしまうと、
こだわり過ぎたり、意識し過ぎたりしてしまう傾向がある。

しかし、お貞ちゃんは大物なのである。
ここ一番になればなるほど、浅草の娘なのである。
最高級の高値の素材が手に入ったとしても、包丁が震えることなく、
自分らしく料理してしまう。

自伝に書くことを考えると、
役者一家であることや、父親の女遊びなどは、一級の素材だろう。
粘着質の作家さんなら、そこを掘り下げて、小説にするだろうと思う。
でもこの本では、それらとバナナの叩き売りなどが、同じ存在感で並ぶ。

読んでいて実に小気味良い。


本書の真骨頂は、当時の下町の知恵がいろいろ書かれていること。
特に、女の知恵が数々収められている。

ちょうど台風の後だし、「二百十日」から。
著者の母が、家の中で暴れる兄や弟をたしなめもせずに、

「いたずらをうるさく言うと、せせっこましい男ができちゃうからね」

との言葉。いいなあ。
今の世の中はうるさ過ぎますから。

その母親が「駄菓子屋騒動」では、全く違う顔を見せる。
叱る場面と、叱らない場面の線引きと理由がきっぱりしている。
「昔の下町の母」ってのは、実に頼もしい。