梅雨の時期には(兵庫散歩)


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この時期、改めて水害は怖い。

写真は、1938年(昭和13年)7月の阪神大水害の慰霊塔。
当時の水害による神戸市の被害は、死者616名、
全壊・流失家屋約4,500戸、浸水家屋は約8万戸。

この地域の水害は、一気に来ます。
六甲山から海まで距離の短い急傾斜を、水と土砂が駆け下りる。
なぎ倒すような水害になります。

兵庫区の中で、荒田地区は被害が大きかったとか。
地名が「荒田」ですから、これが初めての被害で無かったのは確実。
現在、この地に住まわれる方には失礼ですけど、
昔の人が忌々しい思いで命名したのでしょう。

治山・治水が進み、河川改修もされた現在、
以前の様な大水害の危険性は減ったと思われます。

しかし、水害は絶対に油断禁物。
兵庫区での出来事ではありませんが、
小さな子供を含め5人の命を奪った神戸・都賀川水難事故は、4年前。
忘れる訳にはいかない。


改めて兵庫散歩の記事のテーマを繰り返しまする。

今の神戸市兵庫区には、
清盛の時代より前から江戸時代に至るまで、
日本を代表する港がありました。
大輪田の泊とか、兵庫津などと呼ばれていました。

それにしては現在、意外なほど、その痕跡は残っていないし、
記憶すらあまりされていなかった。
大河ドラマをきっかけに、機運が変わりつつはありますが。

それは、当時の港や町が、明治以降も工業用地等に利用され、
過去の物が新しい物に置き換わったから、なのだろう。

しかし、もう一つ、ここが水害多発地であるのも理由ではないか。
想像だが、頻繁に水害にやられて来たことで、
永く残る建築物や文化などを積み上げようとの人の心が、
他地域よりもずいぶん薄かったのではないか。

そんなことを空想しながらの散歩なのです。