「手塚治虫対談集」


 手塚治虫対談集1-4をちょっと前に読んだ。
それで考えた事をメモ代わりに。


 全てななめ読みであります。
だって、SFや映画や戦前戦後マンガに相当詳しくないと、
ついていけない内容が多かったから。

分からなかったら、飛ばす。
それが私の読書の基本。
しかし、どんどん飛ばしていたら、
あっと言う間に読み終えてしまった。

でも、1970-80年代の時代の雰囲気や、
当時の知識人たちの興味や思考回路が窺えて有意義でした。


 何度か話題として登場する、山上たつひこがきデカ」。
当時の社会現象的な作品だが、今となっては・・・
赤塚不二夫の諸作も似た面があるけど、
かつては爆発的な笑いを呼んだのに、
今ほとんど顧みられない作品があるのは不思議。

手塚治虫作品は、今でも多く読み返されている。
藤子作品や、鳥山作品は、この春の映画で大儲けしているらしい。

そうやって長く愛され、繰り返し金を生み続けるものと、
瞬間最大風速だけ強くて先細っていくのと、
違いは何かをぼんやりと考えてみるのも楽しい。
明確な答えを私が出せる訳が無いのも承知していますけど。

差別関連など、表現の規制の問題があるのは確かだが、
それだけで全てを説明できるのかな?


 一つ、思い付いた点を以下に。

手塚治虫の初期、「新宝島」「ロスト・ワールド」等は、
最初から単行本だった。

月刊誌連載の時代が来る。

そして、週刊誌時代。
「W3」あたりが代表か。
しばしの低迷の後、「ブラック・ジャック」「三つ目がとおる」など。


 対談集に収められているのは、この週刊誌時代のものだ。
マンガが消費財として、読み捨てられる物になったことを、
手塚治虫も少なからず意識している部分が見て取れる。
がきデカ」は、そんな読み捨てられる時代の象徴的存在なのかも。
(これは内容を実際に知らない私の短絡的な決め付けですが)


 ところが、今、雑誌が売れない時代が来ている。
マンガ雑誌も軒並み売り上げが落ちている。
そんな中、出版社側がマンガに求める物が変わったと聞いた。

かつては、雑誌の売り上げを増やしてくれる連載が求められた。
今は、コミック単行本として売れるマンガが求められる。

だから、以前は、雑誌の読者の人気投票で上位に食い込むため、
いろんな仕掛けや工夫がなされた。
人気が落ちてくると、急に美少女の登場が増えたり、
エッチな場面が唐突に出てきたり。

そんな必要が薄まった今、作者は単行本としての完成度を意識して、
連載マンガに取り組んでいるらしい。
ってことは、手塚治虫の初期の時代に、戻っているってことなのか?


 思い出します。
電車内の網棚に、数多くのマンガ雑誌が捨てられていた時代を。
駅のゴミ箱にも溢れかえっていました。
プライドの無い私は、網棚のを拾って、
よく読ませてもらってました。
さすがにゴミ箱のには手を出せない中途半端人間でしたが。

今は、ほとんど見ません。
その一方で、先週話題にした銀匙は750万部売れたと、
腰巻に書いてありました。

手塚治虫は、週刊誌連載にも適応して、
第一人者としての地位を守りはしたが、
本領は単行本ベースの作品ではないかと思います。
もし今の時代、お元気に執筆をされていたとしたら・・・


 ある意味、健全な環境に戻ったような気がするんですよね。