オーラなき山に電波の塔が立つ
兵庫県西宮市の畑山(はたやま)を登って来ました。
初めてです。
そして、今年の初山頂でもありました。
これまで山歩きはしても、山頂には立ち寄らなかったので。
昨年秋辺りから、似たような表現を複数回使ってますが、
非常に地味な山域で、誰ともすれ違わず。
頂上付近は、NTT施設や、TV関連の塔が立ち並び、
その補修等のための道路(未舗装)が整備されています。
だから山歩きとは言っても、
山道ではないので、つまんないちゃあつまんない。
植生など山の雰囲気は、
良くも悪くもこの辺りの山らしくて、
慣れている人間にはそれなりに興味を持てるのですけど。
さて、毎度ながら、私が関西の低山に登って考える事。
汗をかいて山頂に達すると、
そこには立派な神社や寺が結構あったりする。
一方では、宗教っ気皆無の山もあります。
その差は何なのだろう?
私には知覚出来ない、山の霊気の有無の差なのか。
畑山には、寺も神社も見当たらず、
所々で見られた看板からすると、元は入会山だったよう。
ネットには、旗振り山として使われたとの情報もあります。
つまり、非常に実用的に利用されて来た。
昔からの宗教施設が無かったから、
電波関連の施設を現代になって建てる事が出来たのでしょう。
確かに、霊気もオーラも感じませんでした。
霊気がないから寺も神社も無いのか、
寺も神社もないから霊気が出て来ないのか、
卵が先か、鶏が先か・・・?
などなど答えの出ない問いを思いつつ、
歩かせてもらいました。
春になったら、また違う風景が見られるんでしょうけど、
もう一度行く気になるかなあ。
◎「オーラなき 山に電波の 塔が立つ」