六甲縦走路のアセビの林




六甲縦走路を、宝塚方面から塩尾寺を抜け、
大谷乗越まで行く途中に、
アセビだらけの林がある。純林に近い。

アセビにしては樹高も高く、
6mくらいはあるんじゃないか。

写真があれば良いのだが、
かなり暗い林なのでありませぬ。申し訳ない。


アセビは漢字では「馬酔木」と書く。
有毒植物で、ふつう動物は食べない。

馬が食べたら酔ったようにふらつく、
という意味だと聞いたことがある。

だから、例えばシカの多い奈良公園では、
固まって茂っている場所があるそうだ。

この木が多い場所では、
シカなどの草食動物が多いんだなって
思ったら良いらしい。


しかし・・・六甲山系に、シカはいない。
他の大型草食動物もいない。

とすると、何故、こんなアセビ林が出来たのだろう?
私は以前からこれが不思議で仕方なかった。


人間が植えるなどして、
意図的にアセビ林を仕立てたのだろうか?

アセビは有毒植物であるが、
有毒であるからこその使い道があった。
殺虫剤としての利用である。

肥溜に虫が湧かないようにとか、
家畜の皮膚についたシラミ等をアセビの煮汁で取ったとか。

しかし、人間が利用するために作ったにしては、
人里から離れ過ぎてるって思うのです。

とすると、あの林は一体なんなのか?

ここまでで、私の思考は止まっておりました。


今朝、
兵庫県人と自然の博物館「六甲」研究グループ編
「自然環境ウォッチング『六甲山』」
という本を読みました。
2001年に出版されたもの。

「六甲山のほ乳類」という節に、

1895年頃の六甲山にはニホンザルニホンジカ、キツネも多くいたが、
1937年にはこれらの動物は稀にしか見られず、
1937年現在ではタヌキ、テン、イタチ、ノウサギ
モグラヒミズぐらいしかいない


という記載がありました。

全面的な調査結果によるものではないようだし、
どこまで確実な情報か分かりませんが、
当時の様子をうかがい知る貴重な内容だと思います。

六甲山は、江戸から明治にかけて、
荒廃が進み、ハゲ山化してました。

対策として、植林が始まったのが1895年。
ところが、その時点ではまだシカはいたんですね。

ハゲ山になってしまったことで数を減らしたのが、
植林のため等で人間が数多く山中に入り、
その影響で完全にいなくなってしまったのでしょうか?


私にとって、不思議だったアセビの林。

アセビの木の寿命は知りませんが、
ツツジの仲間は成長が遅く長寿らしいし、
樹齢100年以上の木々である可能性は高いです。

つまりまだ六甲山系にシカがいた頃に出来た林、
と考えても良いのかなって思います。

少なくとも私は、そう考えて納得することにします。