一遍聖絵(兵庫散歩)

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この数日、私の心はトゲトゲとささくれ立っている。
ダービージョッキーは自殺なんてしちゃダメだと、
理不尽な怒りすら湧きあがって来ている。
大好きなレース、心底あこがれる勝ち馬とジョッキー、
それが競馬好きの一年を支えてすらいるのだ。
チクショ、勝手にいらついている自分にも腹が立つ。

こういう時は、宗教に頼ろう。
どうせあたしゃ弱い人間。南無阿弥陀仏


兵庫(神戸市兵庫区)は時宗一遍上人の没地である。
1289年だから、平清盛の頃から約百年後。

そして、没後十年で「一遍聖絵」が成った。
当時の貴重な資料である。

私の興味としては、
町や、自然や、港の姿がもっと描写されていたらと思うのだが、
それが目的で描かれた物ではないので仕方ない。

聖絵の中の他の地方での絵と比べると、
描かれている松などの樹木がショボい気はする。
この「兵庫散歩」は、水害が一つのキーポイントです。
樹木がショボく見えるのは、水害の影響なのかなあ。
そうこじつけたいところですが、よく分かりません。

人が多かった事が伝わってきます。
ただこれは、兵庫津に住んでいた人なのか、
上人に会いにわざわざ来られた人なのか。
海で働く男の服装かどうかを見分けられたら面白いんだけどな。
女性も結構多いですね。遊女もいるんでしょうか。

建物はさすがに立派。
屋根は檜皮葺(かな?)。

遠景が松の木以外に見えないのは、
海を現わしているのか、荒れ地なのか。

などなど、眺めていると飽きません。


さて私は念仏好きであります。
法然親鸞、一遍、みんな好きです。

一遍上人については、柳宗悦の「南無阿弥陀仏」を随分前に読んだ。
「やりすぎちゃう?」とも思うけど、
徹底的に庶民と共にあった遊行の姿は凄まじくて魅力的です。

でも私が当時生きていたら、参加はしなかったろうな、踊念仏
苦手なんです、ああいうの。

死に際し全ての著作を焼き捨てた方にこんな事を書くのは何ですが、
もしこの時代にツイッターがあったら、
一遍上人のは面白かったんじゃないかなあ。
「鎌倉なう」「拒絶されたなう」とか。
(「なう」の使い方あってますやろか?)